青山さん


青山さん、というのは仮名なのだが、僕は今まで生きてきた中で、3人の青山さんに出会ってきたのだなあ、とさっきぼんやり考えていた。それは要するに、青山という同姓の人物が今まで3人いた、というだけの話で、1人女性で2人男性だけど、その3人はもちろんそれぞれ互いに知り合いとかではないし、何の縁も繋がりも関係もない、ただ僕が何十年前から今に至るまでの時間の中でたまたま出会って、少しの時間を共有したことのある人たち、というだけなのだが、でもなぜそれを思うのかというと、僕はその3人の青山さんに、それぞれ結構酷いことをして、あの人たちをずいぶん傷つけたり苦しめたりしたのだろううな、というのが記憶にあるからだ。


1人目の青山さんには一番酷いことをしたと今でも思う。中学2年のときだ。中学時代の僕は、おそらく全人生のうちでもっとも卑劣な部分を剥き出しにしている時期であったろうと思う。そのような僕に、青山さんは、ちょっと想像を超える屈辱を与えられたはずだ。…これは今思い出しても、あまりにも凄惨で重い記憶である。こうして書きながら、胸の奥が不快さにわなわなしてくるほどだ。もし自分がその被害者なら、そんなの絶対に許さない…そう感じさえするのだが、笑い話にもならないけど加害者がこの僕である。で、あれから20年以上の月日が経過している訳だが、しかし未だに、それを思い出すと深い脱力感と嫌悪感が全身を包む。…あれは、これからもずっと、事あるごとに思い出して、そのたびに苦しむのだと思う。それが唯一の償いかもしれない。


2人目の青山さんにも、1番目に匹敵するくらい酷い事をした。大学生のときだ。これも、未だに眠れない夜などに過去の記憶のぶりかえしに翻弄されて苦しんでいることがある。一体僕は自分を何だと思っているのか?何がそれをさせたのか?どこへ行きたかったのか?何を拒みたかったのか?そういうのが渾然となって、さっぱりわからなくなって混沌として苦しむ。…いや実際、僕はこの2つの大罪を背負ってるというだけで、今からどれだけすばらしい大事業を成したり善行をしたり人の役に立つ事をして、徳を積み重ねたとしても、それまでの悪の負債が膨大すぎて、焼け石に水で、もはや絶対に天国には行けない。それが、もう確定している。努力とかでは、どうしようもないレベルである。天国門前払い組の筆頭である。2つの過去を思い出すと、ああ自分などが天国に行けるわけがないんだよなあ、という思いが大変納得できるものとして自分の腑に落ちるのを感じる。


で、3人目の青山さんにも酷い事をした。というか、3人目は今もまだわりと近くに居る人なので、まだ現在進行形ではあるが、でもこの人もかわいそうだわ、とつい思ってしまうくらい、青山さんには酷い事をしているのかもしれない。でも、もう大人だから、3人目の青山さんに対しては、あまり呵責は感じないのだ。なんというか、大人になってしまうと、酷いことをする人よりも酷いことをされる人の方が、ある意味酷い感じだったりすることが多い、…などというといくらなんでもいいすぎなのだが、でも大人になってしまうと、「酷いことをされている」という状況に対して、完全に自分で枠組みを仕立てて、その中で酷いことを受け入れるようになる。子供のころのように、あるいはか弱き小動物のように、ただひたすら一方的に力を受け止めてしまって、そのことのショックを全身で感じている、などということはまずありえない。なので、傷つける方も、ある意味その枠組みの中でしか動けない訳で、どっちもどっちの出来レースじみたものになる。だから、興奮もなければ後悔もないし、たぶん、前述の2人と違って、3人目の青山さんのことは、時が過ぎたら、記憶から消え去ってしまうかもしれない。