読め


日に日に気温が高まっていく。季節が夏に近づいてくる。夏の感じが思い出される。それを一度でも思い出すと、もしかすると何ヶ月も前からずっとこんな風に暑かったのではなかったっけ?とさえ思えるほどだ。それで、ついこの間まで体感していた筈の冬の寒さがもうほとんど記憶から薄れて、思い出そうとしても思い出せなくなっている。


青山ブックセンター佐々木中保坂和志トークショー。はじまって最初は、あまりの事に度肝を抜かれたというか、思わず笑うというか、ほとんど呆然とさせられるような感じだった。でも聴き続けているうちに慣れてきて、そしてかなり面白かった。語り方というのも、考え方や書き方というものも、自分が道具として選び取るもので、というか、選択する以外の選択肢がない、というか、自分が体験して、そこで自分の中に宿ったかたちにならない不定形のもやもやした何かに、かたちを与えたいと思って、そこではじめて、考え方とか、書き方とか、語り方とか、歌い方、描き方、動き方…といったものになる。そのためには、何事かをはじめるためには、まず何がしかの方法を自分が選ばなければならず、選んだら、納得いくまでそれを行使してみるという、その実践を見ているような感じにも思えた。


誰かがある方法を実践しているのを別の誰かが体験するとき、体験した側としては、最初はかならず困惑や戸惑いや狼狽や、あるいは笑いや怒りをおぼえる。その体験に対して、違和感や齟齬を感じる。それを受け入れるということの過酷さ。…ムハンマドのところにジブリールが来るときの話がものすごく面白かったが、文盲のムハンマドにに対してジブリールが「読め」と命令する。しかもどこの何を読めというのか、具体的対象さえ指し示されず「読め」の意味自体固まってないというか理解不可能・認識以前みたいな状態で、とにかく「読め」という命令だけがやってくる…それはほとんど、お前はいますぐここで、超能力を使ってみろ、と言われてるのと同じ事ではないだろうか。。どう考えても無理な事を実現させる事が要求されているのだ。読むというのは、そういう事なのだ。そして、しかし驚くべき事に、読むことは可能なのだ。誰にでも。そういう驚きをあらためて感じた。