むかつく


十代の頃だともう時と場所を選ばずなりふり構わぬ猛烈な勢いで常にむかついていて、それは二十代になってもやはり相変わらずで、さすがに十代の頃よりは外面を取り繕ってある程度上手くやる術の心得も多少は学んだけれどでも基本原則的には何も変わらず一貫してムチャクチャむかついており、たまに何かのはずみで一挙に前後不覚になるくらいブチ切れてしまうような事もよくあり…それでやがて三十代になると相も変わらず昼夜を問わず相当むかついてはいるけど多少くたびれてきて持続力も集中力も体力も目に見えて落ちてきて色々な意味であきらめの気分も出てきて、なんとなくむかつき続ける事のパワーを維持させるのもダルくなってきて、そしてその自分の枯れていく感じを突き放されてはじめて得た自由のように自分自身がやや心軽い何かとして感じていて、だからむかつきつつもまあどうでもいいやって気分になってきて、そのあとすぐに四十代になってそうなるともはやむかつきもマンネリ化した様式美みたいな日常みたいないつもの気分みたいなまるで低刺激なものでしかなくてほとんど無意識にむかついてるかイレギュラーに自分を起動させるためにあえてむかついてみるだけで実のところもはや今自分がむかついてるのかどうかよくわかってなくて、とりあえずほとんどむかついてる状態というのが自分で認識し辛くなってくるが、そうして五十代になったら、これが意外なことに、突如としてタガがはずれ、何かが溢れ出し、なぜかフツフツと古来の、太古のむかつきがわが胸のうちに復活してきて、若い血潮が蘇ってくるかのようで、やや喜びを伴うかのようにして熱く滾るようにあらためてむかついてきて、でもそのような自分への本質的な失望感というか徒労感というか、ここまで来ても自分がやはり今までと同じようにむかついていてこれからもむかついてない訳にはいかないと思う事に深く絶望もして、そのまま六十代を向かえ、むかつきもなおも留まるところを知らず思わず自分におののくほど依然として胸の中がむかつきの怒りで煮えくり返っていてむかつきの業火が天を焦がさんばかりの勢いで燃え盛っており、やがて七十代となってもはやこの私がむかつきそのものと化しており己が一挙手一動足がそのままむかつきの表現としてあらわれているとしか思えずその体でひたすらむかついている自分の身体領域がもはや自分で上手く認識し辛くなってきて、八十代ともなれば時と場所を選ばずなりふり構わぬ猛烈な勢いでむかついてないと普通にしてても今自分が生きているのか死んでいるのかよくわからない。そしていつしか九十代を越えたあたりで時と場所を遥かにこえてむかつきが枯野を駆け巡り、時代は流れ行きやがて百代を迎えるとちょっとした事でもすぐむかついてしまい、百十代といえばもう箸が転んでもむかつくようなお年頃でございます。