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エレキギターエレキベース、あるいはマイクやピックアップ装置等の集音装置を取り付けたピアノやドラム等を電気回路内蔵型楽器あるいは電気回路付き楽器と名付けて考えてみた場合、これらの楽器の特徴として、自分が演奏した音が、全然別の場所から聴こえてくるというのがある。なぜなら電気回路によって増幅された音声は必ず出力装置に送られるからである。出力装置は、この私と私の手の中の楽器という関係から切り離されて存在しているように見える。私の楽器と、出力装置との間は、一本のシールドケーブルが渡っているだけに過ぎないのだ。しかしそれだけのことで、あとは装置が通電して細かい高周波ノイズが薄く空間を覆っている状況下において、一旦電気信号に変換された後の、スピーカーのコーン紙を振動させる力へと変換されて、空気を揺るがし、音波を放射状に拡散させつつ、それがいま、その楽器を演奏しているこの私の行為に追従しながら、その楽器の発したと思われる、たしかにその楽器経由で生まれたと思われるような、しかしある一点において「その楽器から発した音それ自体」とは絶対に相容れないと思われるような、激しい違和感を感じさせるような、そういう音色が出力されるのである。これはあらためて思うが、あまりにも強烈な出来事である。


ライブ演奏をするミュージシャンは自分の演奏する音を聴きながら、バンドのアンサンブル全体の印象も同時に聴かなければならない。しかし、各楽器がアンプリファイされてそれぞれのスピーカーを狭いステージに並べている状況では、同じ場所に立っている演奏者にとって、それらが渾然となった「和音」を聴く事は不可能である。したがってここに、ミキサーとPAシステムのニーズが生まれる。各出力は一旦中央に設置されたミキサーに集約され、それぞれのチャンネルに振り分けられて適切なボリューム調整およびイコライジングを施された状態で出力される。ステージにいる演奏者たちは今、現在進行形としての「ライブ演奏」を繰り広げながら、「自分が発する音」をミキシングされたものとしてリアルタイムでモニタースピーカーから聴くことができる。これはよくよく考えると、実に面白いことで、というか、元々電子的に音量および音質を増幅・変質させられた音楽というのが、そもそも演奏者にとってはじめから「自分が発する音」をマトモには自分自身によって聴くことができないのだ。その意味では最初から電気回路を内蔵した楽器の発する音は「私が発したはずの音」ではないのだ。電気回路付き楽器は最初から、はっきりと演奏者がリアルタイムで「今、私が何を演奏しているのか」が自分でわからないような特性ももつのだ。それは事後的に最終的にまとめられるしかない。ライブ演奏においてすら、そうなのだ。


そう考えるとやはり、出力装置というのは面白いものだ。出力装置というのはある意味、それだけでは何も聴こえないようなものだ。あるいは、最初からミキシングされ調整された、いわば死んだ音しか聴こえないようなものだ。その狭間に耳をすます、ということの愉悦なのだ。