好きな音問題

くるりが「好きな音・気になる音」というテーマでメールを募集というラジオ番組をやっていた。それほどきちんと聴いてなかったのだけど、そういえば自分にとって、好きな音や、気になる音って、最近あるだろうかと思った。

そもそもPCとか録音物から出る音ではなくて、実際に聞こえてくる音について、その好き嫌いを、考える機会が減った。

現実にあるさまざまな物質の放つ音に、触れる機会が減った、というわけでもないはずだ。

音楽とは、ほとんど場合きちんと調整された録音物の音で聴こえてくるわけだから、音楽を意識して聴くようになることで、かえって音(音楽ではなくて、単なる音)そのものへの感覚が縮小してしまうのかもしれない。録音物の音の良し悪しは、主に再現性の問題に過ぎないのだけど、好きな音や気になる音とは、そういうことではない。

不特定多数の人々に「好きな音・気になる音」を聞いて回ったら、おそらくある触感とか、質感とかを想起させる音に、人気が集まるのだろうと思う。

これも、わかることはわかる。音がその原因を自ら説明するみたいな音。その行為からその音が発するとき、内部や構造の原理が想像しやすい(「動き」の想像へ結びつきやすい)場合に、人はある種のよろこびをおぼえるのだと思う。

その意味では、やはり楽器とは、「好きな音・気になる音」を放つことのできる物体なのだなと思う。あの物体がその音を出すというときに、人はそれ自体に納得していて、よろこびを感じている。ギターを乱暴に弾いたり、ピアノに指を叩きつけたりするのも、物体の内部構造をより強く喚起させようとする行為だろう。

ただその一方で、電子音に特有の魅力を感じるというところもあるのだ。出自をもたない、作られた音に特有の魅力がある。

いや出自はあるのだ、電子音とはすべてがオリジナルのコピーなのだから、楽器の音同様、内部構造を想起することは出来るのだという考え方もできるだろうけど。

音を、それ自体で好きだと考えるのは難しいかもしれない。どうしても音源(物質、形状、構造)を思い浮かべずにはいられない。何の音かわからないけど、この音が好きだというときでも、それが何らかの音だとは想像している。

ところで僕は、雷の音は好きだろうか。さっき、ものすごい音がした。落雷の音、轟音である。雷は、音源を思い浮かべるのが、けっこう難しいものの一つだ。あの大音響を再生させる装置を容易にイメージできない(落雷の音は、空気の圧縮によって放たれる音だ)。

人が好きになる音とは、原因も因果関係も納得を呼び込みやすい音で、やはり「唐突にあらわれる音」を、人はなかなか好きにならない。しかし雷は稲光という「予告」があるぶん、少しだけ魅力があるとも言える。

ちなみに昔、自分がこんなことを書いていたのを思い出す。(ソニックブームと雷の音はどちらが大きい?)
https://ryo-ta.hatenadiary.com/entry/20090617/p3