ストップ・メイキング・センス

Amazon Prime(Qello Concerts by Stingray)でジョナサン・デミストップ・メイキング・センス」(1984年)を観た。なるほど、デヴィッド・バーンというミュージシャンが手掛けてきた仕事の見事な一貫性を見せつけられたというか、この変わらなさの延長線上に、約40年後の「アメリカン・ユートピア」もぴったりと位置付くのだと納得した。

パフォーマンスと舞台装置や機材の設置作業が同時進行していく感じ、完全に作りこむのではなくむしろ裏方や設置の動きを意図的に見せてしまう感じ、場面によっては過度にシアトリカルでもあり、演奏にあわせて舞台背景に文字記号を並列で映写したりの試みも見られるなど、およそそれ以降に定着したライブ・パフォーマンスの仕掛け、舞台演出のセオリーが、ここではまだじつに新鮮でカッコいい効果として矢継ぎ早に繰り出されてくる感じだ。

当時のトーキング・ヘッズ、あるいはトム・トム・クラブが、いかにカッコ良くて先鋭的で、人を興奮させずにはおかなかったのか、当時の時間と空気と雰囲気を想像する。耳に聴こえてくる音や映像に映ってるものそれ自体を「それ」だと思うのではなくて、そこから推測する。音そのものを聴いて判断することとそこから今は無き何かを推測することは両立すると思っている。