自転車でゆく


街灯に照らされた夜道を、二人乗りの自転車が、左右へふらふら、ゆらゆらとしながら進む。前が男で、女は後ろで荷台に横座りで腰かけて体をひねり男の腰に手を回してしがみつくみたいな格好でつかまっている。男は自転車を、漕ぐというより、ペダルに足を乗せたままがらがらとチェーンをカラ周りさせて惰性で進み、時折ペダルを、カタンカタンカタンカタン、と、小刻みに蹴るように踏み鳴ならし続け、チェーンをたわませたり緊張させたりを繰り返して、一定間隔で後輪に駆動力を伝える。ハンドルは、何度も失いかけるバランスをその都度取り戻そうとして素早いスピードで右へ左へと操舵され、ふらふらしながら、かろうじて低速度の進行が維持されつつ、自転車は進む。油の乾きかけた鉄のチェーンはカバーの内側を何度も打ち、パイプの結合部やタイヤのスポークなど重みを支える鉄製のすべての部位がぎしぎしと激しく軋み、荷重が耐え難いと自転車が苦痛の呻き声を上げているかのようでもある。荷台に腰かけた女は、男の身体を後ろからしっかりと抱きしめて、男が着ているTシャツの背中に顔をうずめており、激しく軋む鉄製の自転車の上に居ることなどまったく忘れているかのように、その生地越しに、男の汗の臭いをひたすら吸いこんでいるかのようでもあり、あるいは自分の顔に浮かぶ汗や皮脂や、あふれる唾液や鼻水や涙を、男のシャツでひたすらぬぐっているようでもある。自分としがみつく背中以外の、周囲のあらゆるすべての事象に興味も関心もなさそうで、ただひたすら目の前の背中にしがみついていたい、それ以外の出来事に興味を振り向ける気などさらさらないとでもいわんばかりの態度のようでもある。しかし、鉄製の荷台に横座りに腰をおろして、回転する後輪をおそれてか、短いショートパンツから突き出た真っ白くて長い棒のような自分の両足を、前斜め四十五度の下方に、それぞれ、下向きにアンテナを伸ばしているかのように、ぴんとまっすぐに突っ張っていて、その不思議なテンションのままの姿勢で、身じろぎもしない。ずっとそのままの姿勢で姿勢全体を均衡させてるのは、もしかするとその姿勢制御によって、自転車の操縦操作性を少しでも向上させ、操縦者である男の負担を少しでも軽減させ、私たち自身を運ぶための私たち自身の営みを、可能な限り、なるべく効率良く安定したものにしたいというささやかな願いの形象化であるかもしれず、思考を重ねた結果のなけなし成果をとにかく自分に納得させるためだけにでも今実践しなければいけないという可憐な覚悟でもあり、今その女に可能な想像力の範囲内で、許されたイメージのふくらみから熟成して朽ちて手の中にわずかに残ったせいいっぱいの相手を思ったうえでの配慮であるのかもしれない。ともあれ、自転車は相変わらずよたよたと、低スピードで、なおもバランスと走行を維持させるための必死の努力が続けられつつ、ペダルを小刻みにかたかたと踏みならす男と、その背中にしがみついて、両方の足をそれぞれぴんと下方の暗黒な虚空に対して突っ張っている女とを、ひとかたまりのやわらかいかたまりのようなものとして搭載したまま、なおもひきつづき進みゆく。これら一切、すべてを背負っている、その男の顔は、とても涼しげであり、少なくとも目の前や自分の周囲に広がっているごく狭い範囲の事象以外の事を頭の中だけで考えているようには見えず、何とも間の抜けた呑気な印象をたたえている。