小説


色々な小説を立て続けに読んでいる。色々と読むごとに、ああなるほどなあと思うことばかりであるが、でもなるべく、読んだそばから忘れていくような感じで、とにかく次々と読む。小説は、おもしろいのかおもしろくないのか、その事自体が、あまりよくわからないものだと思う。それをわざわざ読むことの意味がいまいちはっきりしないまま読む。


小説というのは、こういう小説があって、そういう小説を読んでいる人々がこの世にいるのだという、その事を想像すること自体が楽しい。小説が楽しいのだとも言えるし、そのような小説が存在しているのを楽しいと感じている過去が存在していること自体が楽しいのだ。そういう過去が存在したということを知るというのが、小説を読むということなのかもしれないとすら思う。


たとえば、いつか死ぬとき、その瞬間に、大好きな小説のある一シーンのことを思い浮かべる人もいるのかもしれない。死ぬとき、誰か大切な人のイメージを、思い浮かべるのでも良いし、あるいは、とても深く心に残っている、小説の一シーンのことを、思い浮かべるのでも良いのだと思う。いずれにせよ、死ぬのは、ものがなしいものではあるが、それでも何か思い浮かべるだろうけど、それはそれで良くて、やはり人間はこと切れる直前には、なにかを思い浮かべるのだろうし、むしろそのための生だった、という事にその時点でなってしまいそうで、それはある意味、ものすごくあっけない。


死ぬと自分が過去になってしまうということなのだろうか。それが寂しすぎるから、死ぬのが怖いのか。なぜ人は死ぬことを恐怖するのだろうか。死の恐怖が、この後、年齢を重ねるにつれて、自分の中でどのように変化していくのか、そのことには興味がある。たとえば、若さをじょじょに失っていくことの失望感というのがあるけど、死への恐怖とその失望感はリンクするのだろうか。若さを失い続けた結果、なにも残らず、最終的に肉体が動作不良を起こして死ぬという話であれば、かなりロジカルに納得できるので、そこに恐怖は生じないのではないかと思う。たぶん、若さを失うということとはまた一線越えたレベルでの、何らかの恐ろしさがあって、それを人々はおそれるのだ。死を恐れるというよりは、死という言葉の裏側に何百年分の蓄積で分厚く塗り込められた顔料の堆積の、その一層一層が含みこんでいる時間そのものに、おびえるのだ。


でも死ぬとき怖がったり、悲しんだり、寂しさに胸を潰したりして、哀しい気持ちで死んでいくこと自体、それが悪いとは思わないんだよね。それでいいじゃん。それまでの人々と同じようにでかまわないと思っている。