Excel


まったく時間がない。考える事すら全然むり。考え事の断片をエクセルのシート端にメモして、そこで連鎖的に浮かび上がってくるその他のこともメモして、いくつかの言葉に関連の糸がたぐりよせられてその白い糸がもつれて何本か束ねられたまま床をすべるのを見ながら、記憶の座標値をはっきりさせたい気持ちが沸き起こってきて左端の下に2010と入力して、そのまま上まで一気にドラッグして連続データで1971まで作って、さっきまで書いていた言葉の断片を2010から1971までの縦系列のセル内に適当に並べてみて、ものの一分でフレームを囲えた事に感動しつつ、あれとこれとの過去の時間的な関係と連鎖をいま目に見えるように配置して、そうすると次第にその間やその後やその前にあったらしいその他の出来事も突如堰を切ったように浮かび上がってきたが、しかしなにしろ2010から1971までの縦系列のセルの連続の強烈さは一種の爽快ささえ感じられ、もはやその脇に如何なる情報を付記しても意味が無いように思われ、数値の規定力に記憶のあやふやな朦朧とした塊が合理的に従わされ尻を叩かれ整列させられて互いの位置関係を自らに覚え込まされて無理やりに叩き込まれながら順列を守らされているわが記憶の整頓具合にかえって小気味良さを感じ暴力の効能をあらためて感じた。あぁ今までの人生これだけと思って生き返る思い。ものはためしと、2010から下方向に四十行分ドラッグして一気に2050まで。で、その左横のセルの最上位の、1971の真横のセルに0を入力してその下に1を、その下に2を。そのままふたたび下方向にドラッグしたら2050の横には79と出た。79までだとさすがに長いわ。どんなものだろうか。とはいえ、死ぬのはそう楽じゃないだろう。まあとりあえずまだしばらくは、考える時間もないままだ。盲目物語。みなお腹を召されてゆきます。かえすがえすも御運の末はわからぬものでござります。


自動車に乗ってどこかへ行った。かつてもこの前もそうで、ひたすらずっとその繰り返しだ。それだけの二十年であった、と思った。それにしても1995年の夏に行ったのは栃木だったか?それとも新潟だったか?それだけがどうしても、思い出せない。栃木に行った証拠はある。でも、海を見たかも。Warm Sentimentsを聴いたことだけは確か。海を見たのも確かだ。夕日が沈んでいくのをはじめてみたのだ。だとしればそれは日本海に間違いないだろうし、それなら必然的にそこは新潟ではないか。でもその確からしさ自体がどうにもあやふやなのだ。僕が確かだと思っていることの信用ならなさはかなりのものだ。ではどちらにも行ったのか?それはちょっと無いと思うが。まあ、どこかに行っていようが、どっちでも良かったから思い出せないのだけど。いつであろうが誰とであろうがどこであろうが、結局、自動車に乗ってどこかへ行った、ということしかおぼえてないのだから。