不起訴


そういえば最寄り駅から家まで歩くあいだ「すいません、○○駅ってどっちですかね?」と聞かれることがしょっちゅうある。たぶん一年に数回はある。若者、外国人、その他色々・・・こんな夜の遅い時間に、なぜ今○○駅を探して、こんなところを彷徨っているのか?みたいな疑問を今まで一度も感じた事がなく、僕はきかれるたびにその、○○駅までの道を、それなりに丁寧に、しかしある程度の程好さで省略しつつ、まあ大体今言った感じで行けばおおむね近いところまで行けて、詳細はさらに別の人に聞くとかの方が効率いいんじゃない?的な感じでナビゲートさしあげていた。


でもこの前はじめて気付いた。あいつらみんな、どいつもこいつも、別に○○駅なんか目的じゃないんだなって事に。みなそれぞれ、全然別の、何の関係もない連中ばかりだろうけど、でもあの時間にああやって話かけてくるっていうのは、要するに何か「チャンス」を狙ってるだけなんだなっていうのが、ようやくこの前、はじめて気付いたのだ。しかし僕もほんとうにお人よしというか、今まで気付かなかったというのもちょっと可愛いと自分で自分を愛らしく思ってしまうが…。


でも、じゃあ次からは態度が変わるか?と言ったら、そうでもないだろうなあとも思う。何しろ聞かれたことにはそれなりに答えるみたいな、これってなぜなんだろうか。200円くれと言われたら断るのに、道を聞かれればそれなりに教える。その自分の中の「ルール」って、どこから出てきたものなのだろうか。ましてや、相手は本心では道など聞いておらず、別の「チャンス」を伺っているだけなのである。にも関わらず、僕は何の「ルール」を遵守したいと思っているのか。


しかし、ああして道を聞いて「チャンス」を伺う。いやそこまで行かなくても、何かアクションしてみるという、あの感覚はすごい。相手と自分とを偶然のルーレットに乗せてみて、もし自分に有利な目が出たら、いきなり動くかもしれないし、動かないかもしれない。ものすごく成功率の低い賭けなので、大抵は何事もなく終わってしまう。もしかすると、全てが終わった後で清算したら、神様の前で「この者は生前何を為した者か?」「この男は夜中に人に道を聞いていた者でございます」みたいになって、不起訴になるかもしれない。そうだといいですね。でもそんな不起訴なヤツは世の中にいっぱいいる。っていうかまあ、僕も単に不起訴なだけですね。そういう言い方すれば。