サギ


この前、水元公園に行ったときの事をおぼえているか。おぼえていない。でも、忘れないように書き留めておいたメモがあった。それを今見ている。水元公園、サギ、S字。と書いてある。それだけでとりあえずは、そのときのことを思い出せる。正確にはそのとき何か感じたという客観的な事実だけを思いだせる。そのとき、その事実と呼ばれる枠内で、自分という人物がその主観において何を感じたのかまでは保存できていないので、それはここで再生できず、今からほとんど手がかりも無いままに新規作成するしかないのだが。


歩いていたらサギがいた。サギが、歩道と川を仕切る手摺りに止まっていて、川面をじっとみつめていたのだ。妻が、あ、サギだよ。と言って、僕もサギには気付いていて、そのサギを見ながら歩いていた。僕と妻が並んで歩いていて、その前方にサギは、墨汁の墨が白い半紙の上にぼたっと落ちたような、その黒の塊が、そのまま白黒反転して、黒がいきなり真っ白になったような、そういう非常識なまでの白さの塊として、自分の頭部を周りの空間に刻むかのような厳密さでぴったりと打ち込むかのように静止して、そのまま落ち着き払ったまなざしで微風にさざなみのたつ川面をものも言わずじっと見つめて、その姿勢のまま手摺りにつかまって静止したままだった。サギは僕らに、横向きのその姿を見せ付けるようにしてじっとしていた。サギの身体はとぶような白さの紡錘型のふくらみとして景色全体の中央に、まるで穴の空いているその空洞のようにして、そこにあった。サギの身体とサギの頭部はサギの首によってつながっていたが、そのサギの首が、直径五センチくらいのやや太めの真っ白に塗られたゴムホースのようなものでできているようにみえて、そのゴムホースのような均一の筒状のものがゆるやかに弧を描いて、さらに反対に弧を描いて、要するにゆるやかにS字状の導線をもって最終的にはそのままサギの頭部へとつながっていた。それら全体、確認の意味でもう一度はじめから言うと、その紡錘形の身体と、ホース状の首のエス文字と、筆でぼたっとおいたようなサギの頭部で、それら全体が一挙にひとつの形状として、まわりの景色を完全に無視したまま、輝くようなとんでもない白さとして発光してそこに存在していたのだ。


そのサギのことをおぼえているか。おぼえていない。忘れないように書き留めておいたメモがあるし、今試しに書いてみた言葉がある。しかしそのサギはもう終わった。あのときとはもう別の世界でしかない。今、ここに誰かいるのか…。