晴れ


 起きたら素晴らしい快晴。朝の強烈な光が、窓から差し込んでいた。ベランダに妻がいて、僕が起きたことに気付いたらしく、檻の外から動物を観察するみたいな様子でこちらを見ていた。
 一日ほぼ読書。休日は積み重ねた十冊以上の本を持って、窓際の部屋に行ったり自室に行ったりうろうろする。勿論それら全部を読むわけではないのだが、どれでも気が向いたらすぐ開けるように、家の中で常時持ち歩くようにしている。
 新聞がポストに入ってなかったので販売所に電話したら、すぐ持って来てくれた。確かにお配りした筈なんですけど、たぶん盗られちゃったと思うんで、次からもっと奥に入れときますね、との事。たしかに、盗られたのかもなと思って、販売所の人もそう言うだろうなと思った。新聞が入ってないという電話が来るのは、販売所ならおそらく日常茶飯事だろう。そういう電話を受けるのは面倒だろうなあと、やや同情した。でも買ってる以上、来てないものは催促して、ちゃんと戴かないと、こればっかりはしょうがない。まあ、面倒で催促しない事も多いが。
 午後過ぎに間違い電話。電話番号はあっていたが、相手が違った。失礼いたしました。どうもすいません、とのこと。間違い電話である事は瞬時にわかるのに、これは間違い電話ですよね、という事実を相手と共有するまでの時間は数秒から長くて十数秒かかることが多い。それまでの時間、掛け合う言葉同士に生じる不思議なズレのなかでの、その場で計られた間合いにおける腹の探りあいというか、こちらの「おそらく間違いだけどかろうじて間違いじゃないかも?」といった暫定留保の気分と、相手の「気のせいかもしれないけど何か変?」というかすかな違和感のぶつかり合いから始まって、大抵は間違われてる方が先に事態を察知して、あとは間違えた相手の感じている筈の違和感を、間違われてる方ができるだけ効率的に増幅させてあげるような、確定済みの誤配を少しでも早く相手に気づいてもらうための方向付けというか水の向け方が試されて、今やり取りされている対話それ自体が本来はありえなくてあってしかるべきでない出来事なのだというレベルまで一挙に伝達させるための、無言の、あるいは二言三言の、諸事すべてうまく運ぶための、要素を迅速に並べて条件を成立させるための、ほんの一瞬だけ本気で努力してしまうような、そんな瞬間というのはある。
 午後を過ぎて日が翳り出すと、それだけで何だか勿体無いような、今日一日をふいにしたような気がするかもしれないが、僕はあまりそうは思わない。室内に居ても外が明るいというのはよくわかる。

 今日も良い休日。最近は大抵、いつも良い休日だと思っている。