東綾瀬公園


綾瀬駅の東口を出て右手に歩くと広い遊歩道に出る。その遊歩道が東綾瀬公園の入り口である。歩いている分には、遊歩道がずっと続いているような印象なのだが、左右は丁寧に管理栽培された花や植物がうつくしく、遊戯設備や噴水やベンチなどいかにも、どこにでもある小規模な公園といった感じで、しかしなぜかいつまで歩いても同じような景色がいつまでも続く。歩いても歩いてもずっと公園が続く。綾瀬の五丁目とか三丁目とか二丁目とかにかけて、延々と続くのである。公園というよりは、公園のようなハイキングコースという感じかもしれない。


公園内には、ケヤキクスノキやその他たくさんの木々、あるいは様々な植物や花が、あたたかい微風をうけて、音もなくゆらゆらと揺られていた。クスノキはなぜこの時期に、葉が赤く色付いているけど、しかしとてもきれいだ。木に茂る葉の三分の一くらいが紅葉していて、しかも一箇所とか特定の部位だけ紅葉しているのではなくて、均等にまばらに赤く点在しているので、木全体の色合いが緑と赤の不思議なブレンド具合になっていてすごくきれいだ。クスノキの葉はふわっと縦が少し長い小判型の膨らみをもった形をしていて、それらが細かい単位としてぎっしり密集するので、全体のボリューム感がとても独特で、太陽の光を浴びたときの陰影や色合いも独特な複雑さで、そんな葉がところどころ紅く染まっているから、余計になんとも言えない不思議なボリューム感となっていていつまで見ていても飽きない面白さである。春のクスノキはきれい。あとイチョウの葉はまだ小さくて緑が瑞々しく太陽の光を透き通らせるかのようで、これも大変きれい。園内に設置された花壇にはチューリップが植えられていて、これらがあまりに良い陽気なのでこれでおかというくらい花弁を開ききっていて淫らというかだらしないほどであったが、しかしその赤や黄色の彩度として完全にトンでいる鮮やかさにも驚いた。こんなハレーションそのものみたいな色が、自然のものなんだから不思議だ。


暖かい日の晴れた空の下で、桜もほぼ満開である。日を受けて鮮やかな緑色の芝生の上に、ピクニックシートを広げて花見に昂じる人々がいっぱいである。歩いている自分以外の、この場所にいるすべての人々が、男も女も老人も子供も全部が全部、全員地面に直接腰を下ろして、食べて飲んで喋って歓声を上げてときおりふいに立ち上がって小走りに駆け出して、遠くを見て、髪を風になびかせ、足元の草を摘んで風に飛ばし、空を見上げたまま少し目を瞑って、みんなが静かに穏やかに幸福そうだ。ほとんど天国というか、水浴図という感じ。顔を見るとみんな少しずつ気が狂ってる感じ。そんな景色を見ながら、僕もなおも歩き続けている。ずっと公園内の歩道を道なりに歩いているだけなので、入り口から一直線に遠ざかっているものと思っている。しかしそうではなくて、その道は少しずつ右手へと曲がっているのだ。ごんやり歩いていても、そうとはぜんぜん気付かない。


木々や満開の桜を見ながら歩いているうちに、進行方向がしだいに左へと曲がり始めている。遊歩道と交差するようにして、人や車も通る普通の、いつもの見慣れた大通りに差し掛かって、そのことにはじめて気付く。この大通りはいつも歩いている道だ。でもなぜ、こうして歩いていた状態でいきなり、その通りの片側に僕は行き当たったのだ?地面がぐるっと45度分ずれてしまったのか。こういうのを見ると僕は混乱する。そしていつも歩いているはずの道が、左右反転…というのでもなく鏡に写ったかのように逆さまになって…というのでもなく、ただ単に歩いていてその道にぶつかっただけなのに、それでいっぺんに自分の中の地図が根本からクラッシュして、その道を歩きながら混乱し続けて、それで道に迷ったりするのだ。信じがたいことだが、未だに僕はそういう風に自宅の近所の、何度も通ったことのある見慣れた路上でふいに、迷うことがあるのだ。