鏡の公園

昨日よりも暖かく空も晴れて、水元公園を散歩するには絶好の日和になったと思う。地図で見た公園全図の左下にあたる入口から園内へ入る。数字の2を横に寝かせたような流れの川(準用河川)があって、それを挟み込んで二つの公園が向き合っていて、下側が東京都葛飾区の水元公園、上側が埼玉県三郷市みさと公園である。だからこの公園に来ると、いつも川の向こう岸の、まるで蜃気楼のようなもうひとつの公園の存在を遠くに見やりながら歩くことになる。今日は比較的風の強い日で、川面に浮かんでいるたくさんの鴨やカワウたちが波にもまれてわりと激しく上下しながら何とか同じ場所に留まろうとしているのに、そうもいかず少しずつ風下の方へと流されていくようで、その様子をベンチに座ってしばらく眺めていたこちらにも、日差しは暖かであるものの、頬や首筋の片側だけに風が当たり続けた冷たさはしばらく消えずに残っていた。
たまには公園の右半分側まで歩いてみましょうか、となって、寝かせた数字の2の円弧の部分に沿って北上する。水元公園にはそれこそ何度も、これまで数え切れないくらいの回数来ているのだが、歩く途中で園内右端にあたる地点から池を挟んだ向こうのみさと公園に続く道があるのを今日はじめて知った。では国境を越えてみようとその道へ進み、歩いているとほどなくしてみさと公園にあっさり到達した。もう何度も見た水辺の向こう側にある蜃気楼の公園、今ついにその地へ我々は足を踏み入れたのだった…というか、これはもう完全に鏡の中に入ったような、鏡の向こうから見た左右反転の世界という感じであった。なにしろ今、目の前の水辺の向こうで蜃気楼化しているのは、何度も訪れたことのある、今までそこにいたあの水元公園である。さっきまで座っていたベンチの位置があのへんだろうということもわかる。しかし反対から見たら、こんな風に見えるのかと、そのことに意外なほど驚いている。ずいぶん違った印象になるものだと思う。こちらが埼玉で、向こうが東京だけど、どちらかといえば東京の方が緑が濃いというか、より自然らしい公園のように思われる。それはたぶん当然のことで、敷地面積としては水元公園の方がかなり大きいはずで、森林植樹数も相当違うはずだからだ。みさと公園はそれと比べると如何にも整然と整備された公園らしい公園である。駐車場に停まってる自動車の数、出入りする車がたてる砂埃、あちこちに立っているテントの色と数、ああこれは違う、雰囲気がぜんぜん違うと思った。しかし我々はどちらであれ、どこに流されるのであれ、今までと同じように最小の装備で生きていかねばならないはずだというか、もしどちらか一方への帰属意識、こちらではなくあちらだとの意識が胸のうちに生じるのだとしても、そこに確かな根拠はないはずだった。ずいぶん雰囲気が違うのものだなあと、口にしただけだった。