余韻


今日も出勤。しかも朝六時に出発。外はもうすっかり晴れ上がった太陽の光に満ちている。すこし肌寒く感じるくらいの風が吹いていて、ああこれがおそらく、ぼくが小学生くらいだった頃の、夏の早朝の感じに近いのではないかと思った。


今日はじつに印象的なものを見た。というか、それを見るために行ったのだが。じつは、もう半月も前から、今日という日への期待に胸をふくらませていなかったといえば嘘になる。


これを書いてる今、時計を見ると朝は十四、五時間前のことで、まるでもっと前の、昨日か一昨日の出来事のような、すでにそれだけ過去になってしまったようにも感じる。なんとも感無量な、呆然とするような、それと同時に、自分でも得たいの知れぬ、意味もわからぬ制御もきかぬ、ある種の、切ない寂しさに沈んでいるような感じでもある。まるで、中学生くらいの年のときに、前日の夜から明け方にかけて、見事に失恋して朝ひとりですごすごと帰ってきて、意気消沈としたまま日中を過ごして、今こうしているような感じ。


「失恋」というと誤解を招く言い方だが、田中小実昌風にいえば「列車の窓から外を見ていて、おれとは、はなれた世界があるのを、ひょいと感じ、ショックみたいなものをうけた」という感じのことに近いと思う。まあ少し違っているかもしれないし人それぞれ感じ方も違うかもしれないが、何にせよそういう余韻が、僕の今日一日を覆っていたということ。