分散・労働・自由・猫・音楽


ネットワークは分散、ソフトウェアはオープンソース、保守運用はAI、ユーザーはサブスクリプション利用(=ベーシック・インカム)、という未来。昔の、インターネットの天国っぽい感じもする。


僕は・・・死ぬ前日まで、働いているような気がする。働きたい、とか、思っているような気がする。


賃労働はまさに、中央集権型システム下で生活するということ。僕は賃労働と適度な距離を取りつつ自覚的に生きている人を尊敬している。賃労働は、感じ方は人それぞれだろうが、僕は、ああこういう快適さの中に人生を埋没させてしまっていいんだと思ったら、ちょっとそれに抗えない、とも感じた。志願奴隷。


「働けば、自由になる」という標語を、突然思い出す。ナチス強制収容所の門に掲げられたという言葉。


突然「音楽は自由にする」という言葉を思い出す。たしか坂本龍一の著書。


とても座りの悪い変な言葉だと、はじめてそれを見たときから思っていた。だから、さっき、ハッとした。まさか、この本は、「音楽は自由にする」という言葉は、「働けば、自由になる」という標語に、意味合いか何か、何かを引っ掛けているのだろうか?そういう意図があって、やっているのだろうか?と。


でも、それはさすがに無いはず。今、ネットでさっと見て、さすがにそれは無いわ、と思う。そんなはずが無い。単に、僕の頭の中で、それとそれがつながったというだけ。


「働けば、自由になる」虫唾が走るというか、胃の腑に気持ちの悪いものがこみ上げてくるというか、とにかく嫌な言葉だ。ぞっとするし、うんざりするし、重い不安とか悲しみの感情に近いものを呼び起こす言葉だ。


そして「音楽は自由にする」へんな言葉だ。何を、自由にするのか?音楽のことを言ってるのか、それとも音楽家のことを言ってるのか、音楽を聴いてる人間のことを言ってるのか、まずそこがはっきりしない。音楽に関わる人間が、それで自由になれるみたいなことを言ってるなら、それはほんの少し「働けば、自由になる」な感じもある。いや、違うか。音楽は自由にする、だから自分が自由を行使するということが、強調されている。


ほかはともかく、音楽は自由にするからね。という意味にも取れる。ひとまとめに監禁して独房に入れておいたのだが、どうやらこいつは、もはや人質にしておいても仕方が無いようだ。よし、とりあえず音楽は自由にしてやれ。みたいな。


あるいは音楽が、まるで猫みたいに勝手に、というか「音楽」という名前の猫が、座敷でごろごろしながら自由にしているとか、もう外に出してあげなよ、とか言われて雨戸を開けてあげて、さっき音楽は自由にしてあげたよ、みたいな、そんな様子を思い浮かべたりする。


よくそのへんの空き地に猫が寝そべっていて、そういう連中を触りたくてゆっくりと近付いていくと、猫も警戒するけど、すぐには逃げないで、牽制する目つきで、寝そべった姿勢のまま、じっとこちらを観察しているとする。こちらはなおも距離を縮めようとして、少しずつ、近寄っていく。するとあるときあるタイミングで、猫が逃げる。飛ぶみたいに、ぴゅーっと逃げる。あー、逃げられたと思って、すごすごと引き返して、ふと振り向くと、猫が、元の位置に戻っていて、ころーんとひっくり返って腹を見せてふざけた態度でさっきと同じようにこちらを見つめていたりする。


あれって、何なのだろうか。


まあ「音楽は自由にする」を読んでないので、機会があれば読んでみたい。というか、ワタリウムで開催中の、坂本龍一の展示のことを忘れてた。あれは週末に見にいくことにしよう。