生まれた時点で、祖母は母方も父方もすでに他界していたので、僕は自分の祖母という存在を知らない。祖父はいた。とはいえ一緒に暮らしていたわけではなかったし、どちらも自分が小学生のときかもう少し早くに亡くなったので、やはりほとんど記憶に残ってもいない。

しかし子供のころ、近所の友人宅に「お婆ちゃん」はいた。そのお婆ちゃんは別に、僕に優しいわけでも何でもない、よく遊びに来る孫の友人が僕だ。「お婆ちゃん」から見たら他人の子供に過ぎない、だからその「お婆ちゃん」は僕にとっても、親しみとか甘やかな記憶と結びついているわけではない。いわゆる客観的人物としての老婆、一般的「お婆ちゃん」のイメージである。いや、その「お婆ちゃん」も、近所の子供に対してごく一般的に、優しく親し気だったのかもしれなくて、僕もたまにお菓子か何かもらったりしたこともあったのかもしれないが、おぼえてない。ちなみにくだんの友人とは、同級生ではなくて僕よりもやや年上だったはず。

友人の「お婆ちゃん」はいつも居間のテレビで時代劇を見ていた。遊びにやってきた僕の姿を見ると、友達が来たと部屋の奥にいる孫の名前を呼ぶ。夕食時には、必ず晩酌をしていたことをなぜかおぼえている。その友人の一家とは当時ほとんど家族ぐるみで仲良くさせてもらっていて、僕は夕食の時間まで家に帰らずそのまま食事に招かれたことも一度や二度ではなかったのだが、そのとき「お婆ちゃん」は、いつでもかならずお燗を傾けて、皺の刻まれた頬をほんのりと赤らめていたのだ。

あれは、およそ一九八〇年頃だとすれば、あの「お婆ちゃん」は一九一〇年とか二〇年の生まれではないかと想像する。いや、着物姿で背中を丸くして座布団に小さく座っている姿は、まさに昔のお婆ちゃんそのもので、あの外見の雰囲気で六十代は正直考えにくく、もっと後期高齢者に近いように思われるのだが、それは当時という時代と、子供だった自分の眼を踏まえたら、そうではない可能性も大きいだろう。とはいえ、むしろ現在において、あれほどクラシカルでオーセンティックな、旧き良き「お婆ちゃん」は、もはやこの地に存在しないだろうと思う。今思い返せば、もはや人物というよりも風景のような存在感に近い。昔の人は、ああいう格好を、何歳頃からしていたのだろうか。