関根君

高校一年生なんて、中学生と変わらない。中学生なんて小学生と変わらない。ではいつから切り替わるのか?何が切り替わるのか?本当に何かが切り替わるのだろうか?1987年の秋、僕は高校一年だった。関根君と二人で、青山学院高等部の文化祭に行った。青山学院には関根君の彼女がいた。そう聞いていたが、彼女だったのか、まだそれ以前の微妙な間柄だったのかよくわからない。その日、僕が付き合わされたということは、おそらく後者の間柄だったのだろう。しかも現地に着いたのに相手の子が約束した場所に来ず、そのへんを探し回っても見つからなかった。当時は今と違って携帯電話もスマホもないから、その場で連絡を取り合って位置を確認したり予定を決めたりできない。最初の約束の通りに会えなければ、ずっと会えないままである。ふらふらとさまよい歩いて、一旦校外へ出た。夕暮れが近付く青山通りを二人で歩いた。しかし関根君はさほど落ち込んだ様子もない。いつもの通り飄々としている。ただ、自分の手を見て、さっきからここに棘が刺さっていて痛いのだという。いつ刺さったのかわからないが、とにかく今、それが気になって仕方がないと。そんなこと言われても僕も困る。どうしようもないじゃん、我慢するしかないでしょと。関根君はしばらく考えたのち、そのへんの洋服屋で針を貸してくれないかな、それで棘を抜くことができたら良いのだけれど、と言い出した。僕は驚いた。たしかに洋服屋はいっぱいある。この通りの両脇に並ぶ店のほとんど全部が洋服を売ってるような感じだ。でもだからといって、僕たちのような高校生二人組が、いきなり店に入って、針を貸してくれと突然頼むなんて、そんなことができるものだろうか、門前払いというか、笑われて追い返されるだけじゃないかと思った。いやいや、それは無理じゃないか。やめたほうが良くないかと僕は応えた。しかし関根君はその気だった。まあ、聞くだけ聞いてみるよと言って、ふいに通り過ぎる直前の店のドアを開けて中へ入っていった。僕はあわてたが、仕方なく後に付いて店に入った。店内は真っ白な光に包まれていて、まったく無機質な白い空間に、シャープな矩形の棚が仕切りのように置かれて、その間を萎れた旗のような大ぶりの布が、適当な間隔をあけて天井からぶら下がっているだけのような、小売の商店というにはあまりにも売り買いの要素を欠いた、何を見て何を売買したいのか皆目不明な謎の世界に感じられた。こういう場所に対して、人並み以上に気後れするタイプの僕は極度の緊張を感じて突っ立っていたが、関根君はあいかわらず飄々とした体で、奥にいた店員の女性に来店のわけを説明した。僕は後方でその女性の表情を見ていた。女性は関根君の話を聞いて、針はあるけど消毒とか全然できないわよ、それだとあまり良くないわよね…と関根君の手を見ながら話していた。それはごく普通の、小さな怪我をした高校生男子の手を見て心配そうに相手を気遣っている少し年上の女性の姿だった。しかしこの店の従業員の女性が、そのような表情と仕草をまとうことの意外さ、本来つながらないはずの二種類の女性のタイプが同一人物内に同居したのを垣間見て、それはやはり驚きだったし、あいかわらず飄々とした態度で借りた針を使って棘を抜こうとしている関根君の様子は、この程度の「越境」で何を大げさに驚いてるのかと呆れながら僕を笑っているようにも感じられた。ほんの数十秒足らず、だったと思うが無事に棘を抜き終わった関根君は女性に御礼を言って、僕も続けて御礼を言った。女性は微笑をうかべて頷いた。

結局あの後、空が暗闇に沈む手前の時間になってもう一度文化祭の会場に戻って、それで関根君は結局、彼女に会えたのだった気がする。関根君と彼女が、わりと長い間二人で立ち話しているのを、少し遠くに離れて僕は待っていた。やがて関根君が戻ってきて、じゃあ帰ろうかということになって、結局関根君と僕と二人で帰った。関根君は後日その彼女とは、一応ちゃんと付き合ったのだったように記憶するが、僕はちゃんと彼女を見てないし、あまりよくわからない。おぼえているのは、彼女と立ち話している関根君の後姿だ。ある種の真剣さというか、一応やる気を出しているときの背中というのが、あるんだなと思った。何か、大変そうな、面倒くさそうな感じだなと思った気もする。実際のところ、それだけの労力や気持ちを費やすに値するだけの何かがあるのだろうか?と、関根君の後姿の向こうで暗闇にまぎれているおぼろげな相手の姿を見て思った気もする。

関根君とはその後もたまに遊んだ。学校の帰りにビリヤード場へ行ったし、吉祥寺の喫茶店でコーヒーを飲んだし、お互いに写真を撮り合ったし、関根君の家にもお邪魔したことがあった。でもいつの間にか、ただの同級生になった。高二に上がってクラスが変わったら、廊下ですれ違っても挨拶すらしない程度の間柄になってしまった。