教室


さっき同じように、またこの道を歩いている。家に、忘れ物を取りに戻って、もう一度出てきたのだ。こういうときって、忘れ物をしなかったもう一人の自分がニ、三分先を歩いているような気がしないか?空気の乾燥した、真っ白に漂白されたような空気の中を歩く。


ブロック塀に両側を挟まれた、幅の狭い一方通行の道を行く。軽自動車が一台通れるくらいの幅で、この道を今までに数え切れないほどたくさん歩いた。車が来るとみんな塀に張り付くようにして、ゆっくり通り過ぎようとする車を避けたものだ。舗装道路の、重ね塗りされてデコボコとした古くて埃っぽい路面。アスファルトもあれほど真っ白になるものか。それともあれは、アスファルトじゃないのか?とにかく埃っぽかった。小学生の膝小僧がいつもあの白い粉を吹いていた。柿の木が黒々とした枝を銀色の空に食い込ませている。柿の実のオレンジ色も空と直接触れ合って、直にさわれないくらい癒着して融合しているみたいに見える。


右手にお墓が見える曲がり角まで来たら、その反対にの角を曲がってもうしばらく行くと団地が見えて、団地の階段で二階に上って、何番目かのドアのベルを鳴らすと、見た事のあるおばさんが僕を出迎えて、テーブルのあるダイニングのような部屋に通されて、椅子に座らされて、薄い本を渡される。そのおばさんが、後について復唱せよと言うのだ。いくつかの英単語を僕はそこで復唱した。三度か四度、繰り返した。それだけのことで、それ以外に何をしていたのかさっぱりわからない。こうして文字にしていると、全部が作り話かと思えてしまう。記憶が曖昧すぎて文字になる手前で消えてしまう。


毎週火曜日とか、水曜日とか、おそらく決められた日に通っていたのだろうか。火曜日や水曜日は、今と同じように、子供だった頃の自分にも、周期的に巡ってきたのだろう。たぶんその日が巡ってきて、時間が来て、埃っぽい道を歩いて、右手にお墓が見えるところの曲がり角を曲がった先にある団地に行くのを、僕はかなり憂鬱に感じていたのだろう。何のために、何をしに行ってるのか、そこがわからず、英単語の復唱をするのはきつかった。あれで英語が、嫌いになったんです、とは言わないけど。そういう作用はなかったはず。というか、あれはたぶん英語でも何でもない。これはきっと、何の役にも立ちませんと、僕はおばさんに言った。心の中で。


ある日、やはり空気の乾燥した秋から冬にかけてのとある一日の事だったと思うが、僕はその日もその団地の一室を目指して歩いていた。お墓の角まで来て、その反対側の角を曲がって、しばらく行ったが、あるはずの団地がないのだ。あれ、おかしいなあと思って、仕方がなく、もう一度曲がり角のところまで戻った。お墓のある十字路であたりを見回し、たしかにこの角を曲がるのだ。この道で良いはずと思った。でもその先に、あるはずの建物が、確かにないのだ。確かにない、という感じが面白かった。それにしても、おかしい。


どこかで僕がうっかり勘違いをしているのだろうか。ここじゃなくて、もう一本先の道とか?でもそれはあり得ない。なんで無いのか?いきなり団地ごと無くなってしまうというようなことが、あるだろうか?母に言ったら何と言うだろうか。何言ってるの?そんなわけないでしょ!と怒るか、ああそうなの、じゃあしょうがないわねと受け入れるか、どっちだろうか。そのときは予想がつかなかった。


でも目的地が見つからない以上、これはもう、どうしようもないのだから、帰るしかないだろうと思った。とりあえず帰ろうと思った。今来た道を引き返して、とぼとぼ歩いた。空はいきなり暗くなり始めていて、あと数分も経てば夜になるという段階の色合いだった。外灯や住宅の窓から漏れる灯りに温かみを感じた。帰っていつものようにテレビを見る夜になるのがかすかに嬉しかった。


その日以来、僕はあの英語教室に行かなかった。その英語教室が団地ごと何処かへ行ってしまったのか、あのおばさんは誰だったのか。あるいは僕の単なる間違いだったのか、そもそもあの教室に通っていたのは結局何のためで、どういう経緯だったのだろうか。


そのことを先日母に話したら、あら、あんたおぼえてないの?あれはTさんの奥さんじゃないの。あのときちょっとだけ英語習いに行かせてもらってたじゃないの。Tさん当時は近くにお住まいだったけど、あれからすぐに今のお住まいに引っ越したんじゃないの。あんたおぼえてないの?との事。