水原団地


電車が駅に着いた。ドアが開いて、出口の階段の方向へ歩く。


覚悟を決めてここへやってきたのだ。その期待と不安に私の胸が高鳴っている。


気持ちを落ち着けて、平静を装って、人の後について、人と同じ足取りで階段を上る。改札口を抜けて案内板を見る。埃に汚れた蛍光灯の光が案内板の上半分だけを照らしていて、灰色の文字で東口と書かれている方向にある先の階段を降りる。窓から駅前のロータリーが見下ろせた。懐かしくて思わず胸が詰まる。顔が泣き顔になってしまいそうになるのを、わざとらしく口を開けたり閉じたりして何か苦虫でも噛み潰したような表情に変えたり鼻を何度かすすり上げたりして誤魔化す。


駅前は行き交う人も車も少ない。秋らしい快晴の空。平日の田舎の午後の景色だ。タクシー乗り場に一台のタクシーが停車している。エンジンの音は聞こえない。あたりは駅前とは思えないほど静かで、どこか遠くのスズメの鳴き声が聞こえる。ロータリーを左の方に歩いてバスが停まっている前まで行く。バス乗り場には汚れたベンチと空き缶で作った灰皿と一斗缶の上部をくりぬいて作ったゴミ箱がある。ゴミ箱の中には空になった煙草の空き箱とお菓子の包み紙。気付いたら、ゴミ箱の中をしばらく覗き込んだままの格好でいた。風の吹く音が聞こえた気がする。


時刻表を見ると、水原団地行きのバスは13時の欄に、4、17、31、48、と書いてあった。目の前のバスの乗車口は開きっぱなしだ。バスに乗る。社内には私一人。運転手さえいない。とても静かだ。遠くで、鳥の鳴き声がどこかから聴こえるのと、あとは遠くをヘリコプターが飛んでいるような音も微かに聞こえる。バスは船のように、かすかにゆらゆらと車体を揺らしているような気がする。かすかな軋みのような音を聞いたようにも思う。ここから窓の外を見渡すと、駅の柵の向こう側のプラットホームが見えた。今は、上下線共に電車は来てないようで、見える限りでは人の姿もない。今日はとにかく日差しが良い。そして誰もいない。


このままこうして、何の目的もなくバスに乗って窓の外の景色を見ながらぼんやりと過ごせたら、一番良かったのに、つくづくそう思うが、でもよく考えたら、何の目的もなくただバスに乗ってぼんやり窓の外を見ながら一日過ごすなんて、私がそんなことをするはずがなかった。私はいつも只ならぬ覚悟を決めてからじゃないと、何もできないのだ。大げさに思い詰めないことには、家を一歩も出れないような人間なのだ。だからこうして、馬鹿みたいに決意を決めて、こんな誰もいないような平日の午後に電車に乗って田舎の駅前にやってきて、今こうして誰もいないバスの座席に座っているのだ。ほんとうに、私は、笑われて当然というか、笑われてなんぼの人間で、我ながらこうやって前を見据えながら、思わずふふっと笑いが噴出してしまい、そのまま声を出さずにしばらく笑ってしまうような思いがする。


これから私は、このバスで終点の水原団地まで行って、降りたバス停で私は、しばらくFを待つのだ。そうして、Fが来たら、私はずっと考えてきた事を、Fに言うのだ。今日は、そのつもりで来たのだ。でも、こんなに良い天気で、こんなに人がいないなんて、さすがにちょっと驚きました。何もなくて、誰もいない。このぶんではきっと、Fも不在に違いない。でもまあ、それもいつものことね。それが普通と言ってもいい位だ。私はいつもこうして相変わらず一人で思い詰めているだけで、いつも変わらず馬鹿みたいだが、でもそれが私といえば私だ。思い詰めた気持ちがはぐらかされるときの、失望と安堵の混ざり合った気分も、もうさんざん経験してきて、すでに充分に知ってしまった。味わい慣れてしまった。今日もそれだったら、それで全然かまわない。何があっても、どっちに転んでも私はそれをよくわかっているのだ。私はすごいのだ。年齢を重ねて来た。そしてこれからもきっとそうだ。私は今までもこれからも、たった一人で経験を重ねるのだ。


またすずめの鳴いてる声だ。さっきから電線に止まったすずめがずっと鳴いているのだ。たぶん最初から鳴いているのだろう。静かだと言うけれど、私が聞こうとしたときだけ聞こえるのだ。