リンチ新作


ドアを開けると暗闇である。前方のスクリーンに映画が投射されている。座席はかなり人で埋まっていて、前の方に団体で座ってる外国人たち何十人かが、なぜかすごく怒っていて、シーンが切り替わるごとに、ほとんど全員、怒って叫んだり何かを叩いたりしてやたらと騒がしい。僕は今ここに来たばかりで、今やってるのがどんな映画なのかわからない。とにかくワンシーンごとに前の方でざわつき、怒りの声があがる。館内に不穏なムードがたちこめている。外国人たちは怒るたびに後方を振り向いて口々に何か罵りの言葉を吐く。誰に対して?どうもそれは、後方の客たちに対してのようなのだ。後方の客は、たぶんほとんど日本人である。なぜ僕がそう思ったのか自分でもわからないが、それはどうも、外国人たちが日本人に対して抗議しているということのようなのだ。おそらく映画の内容が、何か外国人達を激昂させるような、たとえば日本人が主体となって、特定人種や国家や民族歴史文化などを中傷したり揶揄するような、そういう内容なのではないか。しかし、だとしてもそれで同じ館内にいる観客に文句を言っても仕方が無いと思うのだが。


映画はモノクロ画面で、大変陰鬱なムードの映像であった。あ、なんだ、もしかしてこれはデビッド・リンチの新作じゃないの?と思った。あまりにも絵の感じが、リンチ的に思われた。でも今なんでこれが上映されてるのか。まったく知らなかったし、もしそうならもっと事前に情報もあるだろうから、これはやっぱり違うんじゃないかという気もした。


それにしても前方の外国人たちの怒りは激しかった。事あるごとに、こちらを振り返り、すさまじい形相で、顔ぜんたいを憎しみと怒りでひん曲げるように、目を見開き歯を剥き出して、唾を飛ばしながら罵っているのだ。男性も女性も、皆そうである。とにかくここまで激しく、負の感情を露にできるものかと思うほどだった。彼らは後方の観客全体に対してそのような態度でいたのだが、しかしたまに目が合うと、その怒りの形相をこちらに向け、決して目をそらそうとはしないのだった。すさまじい怒りの形相で、相手が僕を睨みながら、何かを罵っている。驚きと恐怖で、全身に悪寒が走る。


そのとき思いついて、あ、これはもしかして。と僕は思った。これはもしかすると、スクリーンに上映されている映画と、あの外国人たちが、実はワンセットなんじゃないだろうか。あの、ある意味たいへんわかりやすい怒りのしぐさと、後方観客への激しいアピールは、これらが全部まとめて、ひとつの作品なのではないか。あの外国人達は要するに、最初から仕組まれている、サクラというか、役者だろう。この作品の本当の観客とは、僕を含む後ろ座席に座った日本人達だけなのだ。そう考えるのが、一番納得がいく。


そう思ったら少しわかったような気になれて安心したのだが、しかしふと気付くと、外国人たちのうち何人かが、すでに座席を離れて、相変わらずのものすごい形相のまま、僕達のすぐ傍まで接近して来ているのだ。


とにかくびびった。さっとその場を離れ、足早に後方へ移動した。出口の近くあたりで様子を見た。いったい何なのか。どういうつもりなのか、まったくわからない。何か、棒のようなものを手に持っているのだ。あの棒はいったいなんだ。


反対の方向から、別の白人中年男性が、小走りに近づいてきた。棒のようなもので僕を叩こうとしているのか。あ!っと思って後ずさった。胸の鼓動が激しくなった。これはもうシャレになってないというか、不条理としか言いようがない展開だ。


その棒は中が空洞の筒状になった、洗濯用の物干し竿に似たものらしく、しかしかなり軽くて薄いプラスティック製で、おそらくあれで叩かれてもとくに怪我をしたりする事はないだろうと思われ、そのことからもやはりこれらの出来事全体がひとつの作品、と言ってよいのかわからないが、とにかくひとつの仕組まれた何かなのではないかという推測を裏付ける理由になりうるようにも思うのだが、しかしそれでも、叩かれたくはない。何と言うか、とにかくあいつらの怒りの表情がものすごいのだ。悪意とか憎悪というものの、ハリボテを貼り付けたような、漫画みたいなあれら外国人たちの怒りが、自分に直接触れようとすることに強烈な反感と抵抗を感じる。いやおそらく彼らは、決してこちらに直接は触れないのかもしれないが、だとしても直接のほんの手前、数ミリの距離で、あのものすごい形相を浮かべて、目を見開いて、口をひんまげて、あのオモチャのような棒を力の限り振り回すに違いないのだ。それが僕は嫌で嫌でたまらないのだ。だからとにかく僕はここから逃げたい。


しかし気付くと、また別のヤツがすぐ近くにまで近づいてきていた。ついに、棒で叩かれる。相手の剥き出しにして食い縛られた前歯だけが見えた。叩かれたのかどうかよくわからない。何か衝撃があったようななかったような。ものすごい恐怖の感情が自分の中で声になって喉からせりあがってきた。思わず叫んだ。あーー、と叫ぶ自分の声が聞こえた。


妻が驚いて寝室に来た。どうしたの?また寝ぼけたの?と言われて、目が覚めた。妻に何か言おうと思ったのだが、胸の鼓動が激しく、心臓に鈍い痛みがあって、それが気になって言葉がでなかった。悪夢を見て心臓麻痺で死ぬ人っているのだろうか?と、ちらっと思った。そのうちまた眠った。