所沢


足立区に住んでいるが、実家は埼玉県の西武線沿線にある。子供の頃から二十代半ばまで実家で暮らしていたので、そこから都心へ出るにはまず西部線で池袋に出るか西武新宿に出るのだった。なので池袋のことはよくわかっているつもりなのだが、でも僕の知っているのはもう二十年も前の池袋なのである。今の池袋も一見、二十年前とさほど変わっていないようにも思われるのだが、でもまあきっと色々違うのだろう。というか、実際二十年前の僕が池袋の何を知ってたのかというと、別に何も知らなかったのだ。せいぜい本屋とレコード屋くらい。waveとレコファンとアールヴィヴァンとジャニスの姉妹店くらいか。その向かいにあったGEO。パルコの中の世界堂。昔の文芸座とか。あと何軒かの店。そのくらい。ひょっとすると、今はもう全部ないのかもしれない。レコファンはあるみたいだ。あと西口の方の界隈も少し行ってた。あのへんでちょっとバイトしてた事もあった。蝶ネクタイして。ジュンク堂もP'パルコも今のビッグカメラもまだ無かった。


先々週、先週、今日と三週連続で、その池袋から西武線に乗って実家方面へ向かった。なぜかというと、実家に帰ったり同窓会があったり、用事が重なったからだが、今日は所沢ビエンナーレを見るため。


池袋から急行飯能行きに乗る。石神井公園、ひばりが丘、所沢の順に止まるが、西武池袋線の急行は仕方が無いから乗るけど石神井公園までがとても長くて嫌いだ。電車が走ってる間、窓の外に住宅地がずーっと広がっていて、これには大変うんざりする。どこまで行ってもずーっと同じ景色で、ほとほとイヤになる。あの十五分か二十分は、ほんとうに長い。毎朝これを見ながら通学通勤していたので、なおさらイヤだと思う。で、今日で三週連続なのでますますイヤだ。なんか人間の日々の営みが湿気とともに大気中にもうもうとしてその向こうに蜃気楼が見えるような…。


いや、これはもちろん、僕の個人的感想で、郊外度合いでいえば今住んでる足立区だって似たようなもの、いや足立区の方がより垢抜けてなくて「田舎」っぽいのだが、むしろ西武池袋線沿線の風景は「田舎」っぽいわけではなくて、ただなぜか、なんとなくうんざりさせられるような、まるで学校の校舎のような、修学旅行の各部屋みたいな、どうしようもなく整頓されていい感じに管理されてるような、そういう先入観をどうも僕は、もってしまっているようだ。というか池袋線に限らず、他も含めて、西武線の窓から見える景色が僕はたぶん、ほとんど嫌いだ。要するに実家の回りも含めて埼玉から所沢とか西東京市とか練馬とか豊島にいたるまでの感じが嫌い。田舎モノの戯言ではありますが、これはもはや、どうにもならない。もう手の施しようが無いと感じてしまう。西武線沿線。じつに惨憺たる景色。でも住まいはほんとうに別に僕は、どこが良いとかそういう拘りは一切無い。どこでもいいと思う。電車で見る風景がいやなだけだ。その意味では、どの景色もおそらく僕はきっとみんな嫌いなのだろう。電車の窓の外に限らない。でも、どこかには住むという。住まなきゃしょうがないから。


さてそれはともかく、池袋駅の東口に西部があって西口に東部があって、東京芸術劇場が出来る前の西口がどんなだったかほとんどおぼえてない。どちらに多くいたかといえばやはり東口の方で、西武線が駅に着いて地下の改札からすぐ連絡通路を渡って本屋へ行くかエスカレーターで上がって美術館のさらに上の喫茶店に行くかWAVEに行くか。そんな行動パターンだったかどうだったか。


…池袋の話はもうあまり無いのでやめるか。今日のことについて書くか。今は池袋から急行飯能行きに乗ってる途中だったかな。それで、じゃあやっと、いま所沢に着いた。そしたら本川越行きのホームが一番で離れているのでそれが階段を上がるのが面倒くさいのだ。所沢も昔からほんとうに西武線の駅という感じ。典型的な西武線の駅。向こうのホームに立ってる人々を見ると、ああ西武線だなあと思う。あれ?ここ拝島かな?いや所沢だ、という感じ。立ち食いそばやがあって。それでまた何かよくわからないけど工事している。西武線はほんとうに工事が大好きである。年がら年中、工事してるのだ。西武線だけじゃないが。この文章の最後にも書いてあるようなので繰り返しになるけど、千代田線の国会議事堂前は、一体いつからいつまで工事しているのだろうか。もう十年近く工事してるしてるような印象があるけど、それは思い込みだろうか。でも所沢もほんとうに埃っぽいというか、向こうの景色が霞んでいる。立ち食いそばやがあるし。


航空公園駅に着いた。東口を出て、会場までの道をひたすら歩く。いま調べたら、航空公園駅ができたのは1987年だそうで、そういえば確か僕が高校生くらいのときに出来たような気はする。それまで新所沢の次が所沢だったのはまだよくおぼえている。駅を出えて今歩いてるこの道も、航空公園駅が出来たと同時に周囲全体一挙に開発整備されて、市役所とか警察とか市民会館的な文化施設とかがこの界隈にすべて固められていて、一帯が所沢市の公園兼文化集結地帯みたいな感じになっていて、日大芸術学部とか防衛医大とか大学もあって車道や歩道の道幅も広く緑も豊富である。


今から十年以上前だが、大体九十年代半ば頃の僕は、この界隈をじつによく徘徊していたのであった。当時は運転免許を持っていて(今も持ってるけど持ってるだけ)人から借りたかなりボロイ車があったので、定職にも付いてない時期で暇だったので、それでしょっちゅう家の周囲や所沢のあたりまでを車でウロウロしていた。いま歩いてるこの道も、当時は何度も通った道だ。でも車でこのあたりに来て、所沢市文化施設を大いに利用していたわけではまったく無くて、単に暇でだらだらとドライブしてただけだ。さらに、僕は車の運転がとてつもなく下手だったので、道が単純で運転しやすいのが家からせいぜい航空公園くらいまでのわかりやすい道だったというだけ。別に来る目的なし。来たかったわけでもなし。車に関しては、運転が下手というか、最初から苦手意識が強固にあって、とくに駐車はぜんぜん苦手だった。友達で右折が苦手で、ずーっと右折できないままひたすら直進と左折を繰り返してものすごい長時間かけて家に帰った人がいたけど、僕なんかは止められないんだから理論上絶対にどこにも行けないし帰れないし、ほとんど特攻機みたいなものだ。さすがにそれは大げさだが、自分でも止められる場所にしか行かないという、甚だ限定的なドライブであった。人並みに後ろを見ながらバックで駐車するとか絶対無理だった。でも航空公園の駐車場はかなり広くて、車もあまり止まってなかったので、割合気楽に、空き地みたいに適当に駐車できるのでかなりよく利用した。前入れで駐車して、出るときも別に周りとか気にしないでひょいっと出れたし。それで一体、公園まで来て何をしてたのだか、今となってはさっぱり思い出せないが。


当時はゲームが好きで、とくにビデオゲームのレースゲームは死ぬほど好きだった。F1を一番熱心に見てたのもこの頃。ゲームは当時からやたらと現実志向なものが増えてきていたので、やたらと時間をかけてプラクティスから予選決勝まで全部消化してチャンピオンシップを戦っていた。ゲームでさんざん走ったので、F1の世界各地のサーキットは、コーナーごとにギアのシフトアップやダウンのタイミングも含めて昔からのサーキットなら今でも大体暗記しているほどだ。でも、いや、だからというべきか、実際に車を運転するのは嫌いだった。妹から駅まで迎えに来てほしいと電話があっても、僕は公道が向いてないとか平然と言って拒否してゲームやってました。


まあそれはともかく、ほんとうに今日の暑さはすさまじかった。航空公園駅から第一会場までは歩いて十五分くらい。第二会場まではさらにあるいて二十分かそれ以上あった感じで、日差しをマトモに受けつつひたすらとぼとぼ歩く。異常な炎天下の中、徒歩で歩き回るというのはなかなか疲れた。でも汗だくでくたくたになってかえって爽快な気分にもなった。妻は相当疲労困憊の様子だったが。


所沢ビエンナーレは前回もそうだが、会場がいつもすごく面白くて、普段なら入れないような施設の中に入れてもらえるのが面白い。今回は、体育館とプールと給食センター。いずれも古ぼけていて、もう使われてないのかどうなのかよくわからないが、おそらくもう使われてないのだろう。しかし、そういう空間の中にいると、もう作品を見ているというよりは、その場所全体を体験しているような事になってしまう。これはもう、どうしたってそうでしかありえない。ぼろい体育館というだけで楽しい。体育館の古ぼけて傷んだ床のなんとうつくしいこと。木の床や壁や舞台袖から、階段を上って中二階へ上がっていく感じとか、それだけで体験として充分に面白い。開け放されたドアの向こうに広がっている光の洪水の眩しさもものすごい。プールもコンクリートの老朽化がものすごい。給食センターのアルミの配膳鍋や医薬器具のような調理設備や、タイル貼りの下処理部屋とか、古めかしい事務室というか執務室とか、これらももう、それだけですさまじいまでの意味作用が溢れかえっている空間なので、そのような場では正直、そこにある作品を作品としてだけ観るのはかなり難しい。


そういえば、第一会場となっている建物は交差点の角にあるのだが、そこから第二会場まで続く道が一本ずーっと伸びていて、何度もしつこくて悪いが、この道などまさに、当時は何度も車で走った道だ。昔の話ばかりだが懐かしいんだから仕方がない。しかし、まさかこの道を、十何年後に歩くとは思わなかった。通信基地の建物とでかいアンテナとフェンスに囲まれただだっ広い空き地が広がっているのは当時も今も変わってない。それを過ぎると公園らしく濃い緑や木々に溢れ出すのも変わってない。


暑さにくらくらしながら第一会場を後にして、第二会場に向かって歩いていると、反対側の歩道を部活の帰りみたいな高校生の女子たちが自転車で並んでその後ろに二人乗りの自転車も一台ついてぐいぐいと走っていく。みな日焼けして、バケツの水を頭からかぶったみたいに汗に濡れて制服の白いシャツも頭髪もベタベタになっった感じのまま、風に吹かれながら頬を赤くして忙しそうにペダルを漕いでいる。それを見ながらなおも、とぼとぼ歩く。第二会場遠い。もうかなり歩いてる。とちゅう大規模小売店舗の裏手の細い道を、資材や荷物の積み重なって混沌とした状態になっている一角にベンチと灰皿と自動販売機のスペースがあって、おそらく従業員の、食品売り場っぽいおばさんやおじさんや若い人たちや、見た目も格好もばらばらな老若男女が、何人か向かい合わせのベンチに腰掛けて休憩していた。客商売の人々がふつうに休憩してる様子を見るのは面白い。


それを過ぎると雑木林がずっと続いていて、それを過ぎたらやっと着いた。引込線と書かれた旗が四本立っていて、ばたばたばたと風に吹かれて音を立てていた。旗っていいなあと思った。第一会場に旗がくるくると機械で回っている作品があって、旗ってどうして風に吹かれるとばたばたという、あの独特の音がするのかと不思議に思った。布と布がぶつかっても、あんな音はしないだろう。布が空気を切る音だろうか?空気が空気と衝突する音?旗の音も面白かったし、音が今日はなんとなく面白いと思って色々と見ていた。今日は天気が良すぎて光が激しくほとんど何も見えなかったからかもしれないが。第二会場の建物の中に入って日差しが遮られるや否や、一瞬視界がブラックアウトするほど光と影に落差がある。今日はとにかく太陽の光が凄すぎて、景色がストロボを焚きっぱなしみたいな猛烈な光と熱の渦である。そして熱さと湿気、そして強烈な室内空間である。そういうやたらと色々ある全体の中の、作品というか、展覧会というか、美術というか、そういう要素は、全体にとっては話の掴みというか、取っ掛かりの一部という感じで、なのでかなり刺激的で面白かったけど、何が面白かったのかは上手く言えない感じ。所沢ビエンナーレが面白かったのか、航空公園から給食センターまでの全体が面白かったのか、今日の九月十日が面白かったのか、とにかく面白かったけど、そして暑くて、そしてやたら疲れた。という感じだった。


帰りはバスで航空公園駅まで戻る。バスは快適。航空公園から西部新宿へ。コクーンタワーの下のブックファーストはいつも地下道から入るが、今日は道を間違えたので地上から入った。新宿の高層ビルというのは、新宿センタービルにしても損保ジャパン本社ビルにしても、あらためて見上げるとほんとうにモダンというか、高度成長期の果てにできた近未来という感じがする。これが出来たとき、当時の人々は「人間はついにここまで来た」とか思ったのではないだろうか。センタービルの窓の並んでる感じとか、実にかっこいいと思う。ああもうこれ以上はありえないみたいな、洗練の極みみたいな、そういう感じを今でも僕などは感じてしまう。


しかしコクーンタワーはそれまでの景色に突如としてセル画に描かれたアニメの絵が重ねられたような感じだ。この落差はほんとうにすごい。ビルのふもとまで来て見上げても、見れば見るほどうそみたいにしか見えない。しかもかたちが紡錘形なので見上げるとマルに近づくというか、心の上滑りを促されるというか、ビル頂上は湾曲した先の見えない場所にあってあとは晴れ上がった空があるばかりだ。雲がぐーっと動いていて、それがビルがぐーっと後ろに遠ざかっていくかのような錯覚をおぼえて一瞬すごく慄いてしまった。


丸の内線の国会議事堂前から千代田線に乗り換えた。国会議事堂はいつからいつまで工事しているのだろうか。もう十年近く工事してるしてるような印象があるけど、それは思い込みだろうか。