プラットホーム


ジャ・ジャンクーの「プラットホーム」をDVDで観る。DVDを買ったのはたぶん三年か四年前だが、今日まで封も切ってなかった。ふいに思い出して、ついに今日観た。映画を観る、というよりも映画に浸っている感じで、まったく心地の良い快適な温度の風呂に首まで浸かって陶然としているような、ちっとも長く感じないニ時間半。景色が素晴らしくて、音が素晴らしいという、ジャ・ジャンクー的な素晴らしさそのもので、とくに音の多様に重なった、随所で煙のように立ち昇ってくるさまざまな中国産ポップミュージックもさることながら、ラジオから流れてくる女性の声や、雑踏の音、爆竹の音、クラクションの音、エンジンの音、何もかもが、溶け合わさり、まだらになり、交差し合う。何の音かわからない音が聴こえてきたり、誰かわからない(たぶんあいつだと思うが)ヤツが遠くにいて下を向いて何かごそごそとやってたり、地平線の向こうから古いトラックが、よたよたと車体を揺るがせながらどんどん近づいてきて、すぐ脇を通り過ぎて、遠ざかって行ったはずが、しばらくしたら、よたよたしたまま、ほとんど傾ぐように、ゆったりと旋回して、ふたたび先頭をこちらに向け、また来た道を引き返すために、同じ速度でこちらに向かって来るような、あの感じはまさに、映画でしか観ることができないものと思う。たとえば小説で、そのような描写を出来るかといったら、それは難しい。今こうして書いたことはまったく描写ではなく、これは映画の表面に起きた事の説明であって、それが感じさせた内容ではない。要するにあのような時間の流れ方は、それをカメラで撮ることでしかあらわれないということだ。最近になって、映画を久々に観たいと思っていたのは、そういう時間の流れ方を久々に味わいたいということであっただろう。