ベン・ギャザラ


 1971年生まれの僕の10代の頃が80年代で、その頃の洋服の流行というものが、1941年生まれの父親の世代とまるで違うものだったために、子供の頃、というか、自分が中学生、高校生の頃に、父親の洋服を着るという発想は、まったくなかった。

 父親は60年代〜80年代までは東京で生活していたが、その後自分の実家で独り暮らし状態で、今に至る。でもほとんど、自分が中学生くらいのときから、父親は死んだも同然というか、良くも悪くも、遠い。連絡を取ってないわけではなく、むしろとくに最近頻繁だが、それはそれで、あの、今もいるけどあれは、あの電話の向こうの相手は本当に、所謂、父親というものなのかどうか、どうにもよくわからない。

 で、以下の話は、上記とは違うもっと落ち着いた、おそらく父親の話で、父親にまつわる思い出、というようなことなのかもしれないが、当時、実家にあった洋服ダンスの中には結構たくさんのジャケットやスラックスとネクタイがぶら下がっていて、父は勤め人であった事がほぼないので、洋服のイメージも比較的くだけたものが多く、所謂サラリーマン的な地味なスーツは見当たらなかったが、しかしそれにしても、当時の僕から見てそれらの洋服はある種の古めかしさが強く香っていた。それは閉め切られた箱の中に籠る匂いと共に、密閉された内側の暗闇そのものをゆっくりと吸い取っているかのようでもあった。

 そしてそれらのうちジャケットのひとつを取り出してみて、試しに羽織ってみれば、当時の常識では考えられないほど、その肩幅は狭く、全体のかたちも身体にぴったりとしていて、着丈も短かった。それは十代の僕が思うジャケットの概念から大きく外れていた。当時(80年代)のジャケットとは、ゆったりと大きく、肩幅は広くしっかりとした肩パッドが入っていて、上半身全体を袋のようにすっぽりと包む感じで、袖も長く手のひらが半分くらい隠れるほどで、なにしろでかくて、どすんとしたイメージだった。身体の線が出るなんてとんでもないというのが80年代だった。

 たとえばカサヴェテスのチャイニーズ・ブッキーを殺した男に出てくるベン・ギャザラ演じる主人公の着ている服の襟がでかくて胸の大きく開いたあの格好。さすがにあのデザインではないが当時のシルエットは皆あんな感じで、80年代当時から見てあれほど「終わった」観のある服装もなかった。

 いまや、そっちの方がかっこいいだろう。80年代のジャケットは今やもう、金輪際、永遠に着れないということに今はなっている。でもそれも、あと十年も経つとそうでもなくなるのかしら。