場所


 今週からカート・ヴォネガット・ジュニアスローターハウス5」を読んでいる。大体半分くらいまで読んだ。こんな小説なのか、という思いで読んでいる。そうかこの小説って、柴崎友香「わたしがいなかった街で」に出てきたなあ、と思い出した。今、「わたしがいなかった街で」を見返してみたら、その箇所が、かなりすぐに見つかった。ドレスデンと書いてあった。そういうものだ。

 アウシュビッツにも、ヒロシマにも、行ったことがない。かつては、ハワイやサイパンにも、行って、見てみたいようなどと、そんなことを思ったこともあるが、行ってない。沖縄には行ったことがあるが、そういう沖縄については、考えもしなかった。長崎もそうで、長崎は、高校の修学旅行で行ったのだったが、島原城跡を見たことだけを、なぜか妙にはっきりとおぼえている。天草四郎という人物のことについて、当時はなぜか何か、こころに引っ掛かる思いがあったように記憶している。高校生当時は、酷い拷問を受けたり凄絶な死に方をしたキリシタンのことを考えることが多かった。まだ戦争について、無知に近く、収容所のことや捕虜や強制労働についても、ほとんど考える事もなかった。命令に従うとか、収容されるということの、言葉の意味がわかってなかった、という状態に近いかもしれない。暴力の、あの独特の、ざらざらした、人肌の生暖かさにつつまれた、深い諦めや疲労を伴った、なされるがままの、なすすべなく晒される感じの、その固有の味や匂いを知っている訳でもなく、リアルに想像することも無かったかもしれない。