目が覚めて、夢を見ていた事に気づく。まだ、まどろみのなかにいる。別にこちらでも、あちらでも、どっちでも良かったのに、と感じている一瞬を、眠気に紛らわせて、ずるずると引き伸ばしながら、ゆっくりさっきまでのことを思い出している。


何度か来たことのある店にいた。グラスで三杯ほど飲み干したあとだった。そろそろ会計しようと思ったが、自分のほかに客は誰もいない。カウンターも無人だ。店の中に、誰もいないのかもしれない。時計を見たら、朝の5時なので驚いた。今が、どういう情況なのかわからない。なんで、いまが朝方の時間なのか。それまで、寝てたのだろうか。耳をすませてみても、波の音が聴こえるだけだ。波が防波堤にあたってくだける音。この店は、水際にあるのだ。カウンターがあって、床があって、背もたれと肘掛の付いた木製の椅子が六脚並んでいて、背後の床は、人が一人かろうじて歩けるほどの幅しかなく、その先から、すぐに水だ。


潮騒のメモリー」の声だなあ。これは、つい買ってしまった。先週は、荒井由美の「ひこうき雲」も買ってしまった。あとあやぶまれるのが、AKBなんとかの新しい曲をわりと悪くないと思っている状態で、でもこれは買いたくないなーと思っている。


店を出た。無銭飲食になってしまったが、後できっと払いに来る。またこれからも来る店だから、そのへんはちゃんとする。店主に挨拶して、カネを払うことだろう。乾いた路面を歩く。朝が近づきつつある。ビルの壁が朝日に照らされて真っ白に浮かび上がる。


ヤマトナデシコ七変化」の声。「夜明けのMEW」の夜明け。それは今から25年前のことだ。「木枯しに抱かれて」「あなたに会えてよかった」と記憶の変遷としてはそのように来て、この夏にきて、いきなり唐突に「潮騒のメモリー」で、あの小泉今日子の声が、ホラーのように、当時とまったく変わりなく聴こえてきて狼狽しながら、ついに今生の人生においてはじめて小泉今日子の楽曲を購入してしまった。しかし、声とはいったい、何なのか。これほどまでに、何も変わらないものなのだろうか?聴いてるとほとんど気が遠くなる。


外はまだ、人でいっぱい。夜からの人、朝になってしまった人。誰も家に帰ろうとせず、それぞれがそれぞれの目的や楽しみのために、勝手に、右往左往している。そういう景色を子供の頃に見ると、後にひいて、ああこうして、大の大人が、いつまでも寝ずにじたばたしているのは、なんて楽しい事なのだろうと思ってしまい、それが結局大人になっても直らず、そういう者は夜更かし好きな、夜遊び好きになる。夜遊び好きには二種類あって、淋しいのが嫌いで夜になっても人の近くにいたいタイプと、夜特有の寂しさのなかで、他人と付かず離れず、行っての距離を保ちつつ、しかし眠らないというタイプがいる。後者がおそらく子供時代の思い出をいつまでも忘れられないタイプである。懐かしい夜の、記憶に残っているともいえないような思い出である。


なつかしい、とは、夏の事なのだろうか。語源は、夏かしい、とか、そういうことなのか。


とりあえず、ベースのすごく汚い音を聴きたい。酷いベース。ジャー・ウォーブル、今の気分なら、クリス・スクワイアでもいいかも。そう思ったら、今はこれしかない。この早朝の、ちょっと涼しい感じにぶつけたい。どうでもいいのだ、洗練とか、必要ないのだ。ざらざらの、埃まみれの、ずたぶくろのなかの、拾ってきた断片でいいのだ。部室の匂いが沁み付いた、部屋に戻って開けたらきたない砂が床にこぼれるようなことでもかまわない。Every Little Thing。こんなの、まともに聴いたの、二十歳のとき以来だ。


昔の曲が何も変わらないのは、安心だ。でも昔、と思っていたはずの声が、今も変わらないのは、びびる。