顔写真を削除する仕事だ。毎日、百枚くらいのメモリーカードが届く。一枚あたり、五十人くらいの顔写真が収まっている。みんな、IDの印刷されたA4用紙を両手で胸の位置に持って、済ました顔で写真に撮られている。指名手配とか、または収容所に連行されて撮られた写真みたいな感じだ。これらの大量の顔写真を、全コマ削除する。終わったら、カードをきれいに並べて、全部できたら、社内便で送り返す。顔の写真というのは、まあ色々といえば色々だが、いつからかは忘れたけど、もう、どんな顔を見てもなんとも思わなくなった。全コマ削除する前に、一応、サムネール表示にして、すべてのイメージを確認するのだけど、顔っていうのは、皆が、これほど必死になって、皆が、ほとんど、顔というもののために、朝から晩まで、一年中いや何十年も、ひたすら右往左往して、あらゆる価値や名声や地位や、羨望や嫉妬や、憤怒や悲哀が、みんな顔というものから発していると言ってもいいかもしれない。それなのに、こうして顔を、一個一個見ていても、じつに面白くもなんともない。くだらない。ほんとうに、どうでもいい。美しいとか醜いとか、きれいもきたないも、実に些細なことだ。とくにこうして、正面像として撮影されると、きれいだのきたないだの、ほんとうにどうでもいいことでしかない。両手で支えているA4用紙の固定位置の違いの方が、まだはっきりとした差異に感じられるくらいだ。だから、それらの顔に、まるで興味もなく、ざっと見て、問題なければ、そのまま躊躇なくざっくりと消してしまう。百枚のメモリーカードを全部消し終わるのは、早ければ午前中で終わるし、時間がかかると二時か三時になる。でも結局、何時になろうが、どれほどきっちりと全消去を完遂させようが、どうせ明日になれば、また各カードに新しい顔が前と同じように写ったのが、ぎっしりと収録されてくる。消し忘れると、途中でエラーになるから、半端に返送するのだけはまずい。とにかく、確実に消す。しかし今更ながら、顔ばかりよくもまあ、これだけ毎日集まってくるものだと思う。