去年の秋にやって以来、久しぶりに美術部をやる。以前と同じで、地域学習センターみたいなところの会議室を予約して、そこに集合して、モチーフとしては、模造紙、花(ユリ)、野菜(トウモロコシ、リンゴ)を机上に並べて、それを皆で描く。約三時間半。黙々とやった。静かな時間。皆、驚くほど集中する。とはいえ最後の30分くらいしたら、だいたい緊張も溶けてきて、終わりの雰囲気になった。僕も絵を描いたのは久しぶりで、ぜんぜん描けなくて、われながら衝撃を受けた。上手く行かないので、三時間半、脇目もふらずにひたすら描き続けてしまい、終わったら描いた疲労感のあまりの久々さに、独特な眩暈感をおぼえた。


描けないというのは、つまり見えないということで、視力がどうとかいうことではなくて、漫然と見ていても、描くべきものが見えてこない。それでもとにかく、試行錯誤しているうちに、見えてきて、描くことがあらわれてくる。そんなことは、高校生の頃から身体で知っている筈だったが、今更あらためて、それをふたたび実感した。昨日は、とくに最初の30分で(少し舐めていて)、見えてないのに何となく思い込みで、あるいは手癖で無理やり描こうとしていて、それが破綻して、ああ失敗した、じゃあこのあと、どうするのかと思って、結局愚直にやるしかないし、今までもそれしかできなかったし、今後もそうだという、今までも何度も考えてわかりきっている筈の事を、ふたたび思い出してその通りにやるという、愚かなことになり、残り時間を本気出してもがいて、でも結局、ろくなものができなかった、というだけのことだった。


まったく、かつて専門に美術をやったなどということは、まったく何の意味もない。技術力を学んで訓練した?コケオドシ的に、人を驚かせるような、もっともらしく「上手く描く」みたいな、所詮はその程度のことを、かろうじてできるとかどうとか、僕なんかは、いまやそれすらできないし、そしてたぶん、集まったメンバーが総じて皆、見事な絵を描いたので、それがかえって余計に僕は、自分にがっかりしたし、思わず笑ってしまった。ごく単純に、画面にモチーフを入れる段階で、僕よりほかのメンバーの方が、ぜんぜん無理なくきれいに、絵の在り方として自然にまとめるのだ。線もきれいだ。他のメンバーは皆、会社で知り合った人たちなので、美術系とかそういう人は一人もいなくて、たぶん今までに絵を描いたり見たりしてきた経験は、僕の方が多いかもしれないが、しかし、経験があるというのは、絵の物質的な特性(のみ)を、わりと知っているということくらいのことでしかないとも言えて、何をどのくらいやれば、絵の具や紙の状態がどうなって、どう変わっていくのか、あるいは、これ以上やるとダメになるとか、壊れるとか、そういう予測が付くか付かないか?ということくらいのことに過ぎないのかもしれず、だから、経験が少ない人の描く絵というのは、わりと総じて、腰の引けた感じになってしまうため、どの絵も手数の少ないものになりがちで、例えば、迫力とか凄みとか、時間や行為が重ねられた事での重厚さとか、そういう要素は少なくなりがちだ。ただし、一発の新鮮さやおそるおそる乗せた色の発色のきれいさは、これは所謂、中途半端な経験者には絶対にできないようなものがあって、こういうのには、思わずハッとするし、それを見るとすぐに、諸手をあげて賞賛したくなるし、それが巡ってきて、自分の絵のダサさをあらためて思い、自己嫌悪を感じるということになる。


夜は北千住で会食。一ヶ月前にとっておいた「なかなか予約のとれない有名店」に行く。料理はたしかに、素晴らしい、というものであった。ワインも、とくにリースリングを皆が喜んでいた。


しかし「思った通りには行かない」という事を、あらためて思い出したのは良かった。僕は元来、まったく器用なタイプではないし、対象を上手く制御するような能力もないし、かといって、天然の味わいだけで乗り切っていけるような芸もなくて、けっこう愚直に、時間をかけた出てきた結果を出すしかできないようなタイプなので、そもそもタイプで考えても無意味なタイプの人間に近いのだ。それをほんとうに、それこそ高校生のときに知ったようなことだったはずだよ。にもかかわらず、そんなわかりきったことさえ忘れてしまうのだから、困ったもんだな、みたいな事を、酔っ払いながら話した。メンバーの一人が描いた絵のことを、あれは良かったよ、ロスコっていう抽象の画家がいるんだけど、知ってる?あれを思い出したよ。ほら、これだよ。見てごらん。と言って、iPhoneでロスコ作品の画像を見せたけど、反応は薄かった。うーん、これって抽象画でしょ、こういうのがいいっていうのは、それはそれで、この世界もありで良いとは思うけど…みたいな感じだった。…たしかに、べつにロスコのよさを知らなければいけない理由はないのだけど、でも単に、自分が描いた絵のきれいさが、ロスコの抽象画にも響きあうようなものなのだと思えて、あらためてロスコの作品を見る経験が生まれたら、それはとてもいいことに違いない。だからこの美術部では、僕は今後も引き続き、メンバーの絵を見て「あれに似てる」や「これに似てる」をいい続けていくつもりだ。