改正

朝の電車のダイヤが改正されて、そうなると最寄り駅で見かけるいつもの人たちとの、乗り合いの景色がこれで消えたことになる。駅始発の電車を待つために、いつもの人々が並んでいて、電車のドアが開くと彼らはやや急いで、しかし毎朝のことなので定常行動の緩慢さも感じさせるような動きで、それぞれが座席を埋めていく。まるで培養液のなかの化合物が、何かの作用で決められた器の窪みにいざなわれてきれいにはめ込まれていくかのような動き。その後で僕は車内に入って、幸運にも空いてる席が残されていればそこに座るが、ほとんどの場合はドア端に立つことになる。そこから、周囲をざっと見わたすと、いつもの人たちがいる。そのことを完全に無意識ながら、毎朝確認している。

その人たちは、今朝もだいたい似た時間に似た電車に乗っているはずだが、もうあのように各条件が揃うことはない。もしあの人たちの誰かが目のまえを通り掛かっても、僕はもう彼らを記憶してない。