朝日新聞は、もう購読をやめたいと何年も前から、下手すると十何年前から思っている。でも未だにやめられないのは、販売店の人に、すいません新聞もうやめます。と言い出し辛いからである、未だに金を払って購読している理由は、突き詰めると、ほんとうに、その一点だけだと思われる。


だから朝日新聞が、いつも家にあるから、さすがにたまに読むけど、ほとんど読むところが無いのはまだ良いとして、たまに、読んでものすごく腹の立つ記事があったりするから困る。こういうものに、なぜ金を払っているのか、その不条理感をひしひしと感じざるを得ない瞬間だが、こういう瞬間に出くわすたびに、これで仕舞いだ、もう終わろうと思うのだが、それでも販売店に電話して、もうやめますの一言が言えないのだ。なにしろ、たまに新聞がポストに届いてないときがあって、それは配達員の配り忘れなのか、あるいは不道徳な者が通りがかりにすっと引き抜いて行ったのか、それはわからないけれど、とにかくその日の朝刊が無い、ということがごくたまにあって、仕方がないから販売店に電話をすると、そういうときの販売店さんは、実に迅速丁寧な、完璧なレスポンスで、速攻でその日の朝刊を届けてくれるのである。たしかに販売店はウチからそれほど離れてないから、すぐ来れるのだけれど、でも電話してすぐ対応してくれたら嬉しいじゃないですか。それに、最近はもう銀行振り込みにしてしまったからそういうことはないけど、しばらく前までは半年に一度、販売店が契約更新のお願いにウチの玄関まで来て、そのとき洗剤だのサラダ油だの、そんなのもう、いらないよ、と言いたくなるものばかりを、山のように抱えて来るのである。で、はい、じゃあもう半年契約します、と言うと、使いッ走りみたいな若い子が、もう狂喜乱舞みたいに喜んで、ありがとうございますありがとうございますと何度もくりかえして、もういらないと言ってるのに、両手から零れ落ちそうなほど大量の洗剤パックを玄関の前に置いていくのである。


と、まあ、そんな感じなので、朝日新聞をなお僕が購読している唯一の理由は、販売店の彼らの事を思うと後ろめたくてやめられないから、というその一点に尽きるのだが、ところで先月終わりくらいから、朝日新聞夏目漱石の「こころ」が、なぜか再連載中である。百年前の連載時と同じ体裁で、今、平日だけ毎日連載しているのである。


これをとりあえず、毎日読んでいるのだが、やっぱり「こころ」は面白いねえ、という感じである、僕は昔から、新聞連載小説を毎日読むのはかなり苦手で、最初から最後まで連載と同時に読み始めて読み終えた作品など、ほぼ皆無と言ってもいいくらいだが、今回の「こころ」は、今日で十八回目になるけど、まだ読んでいて、このペースが実に良い感じに感じられる。なんだかんだ云って、今読んでる、色々なものより、何よりも「こころ」が面白い。とさえ言えるかもしれない。それもそれで、どうなのかと思うが、やはり漱石、面白いですね。