この暑さだと、図書館に行くにもほとんど命がけだ。追手から逃れるかの如く、炎天下に焼かれつつ命からがら館内に逃げ込んだが、それにしても身体ダメージ大きすぎる。本を物色している途中も、頭がぼーっとなり全身がだるく、回復してくるまでにかかる時間がいつもより長い。このあと買い物するなり美術館行くなりのプランを考えていたのだが、死ぬからやっぱりやめようこのまま帰ろう、ということにする。
たまたま目についた井伏鱒二の「駅前旅館」を立ち読みしていて、ほか作品もいくつか借りて帰った。とりたてて何か思うわけでもなく、なんてことないのだけど、ただ一文一文を追うごとにしみじみと渇きに水分が沁み込んでくるかのような良さで、それだけで来た甲斐があった。井伏鱒二という作家もほとんど文学史的というか、日本の文豪、巨匠…という感じだが、没年は1993年で、当時僕は、井伏鱒二死去の記事が新聞に掲載されたのをおぼえている。それを見て、まだ存命だったんだなあ…と思ったこともおぼえている。
今から思い返せば、80年代~90年代は高度成長時代の爛熟と終焉の時期でもあるけれど、戦後の残滓が今より漂っていたには違いなくて、それは戦時下を潜り抜けて生きた人々の後半生がその時期であったからで、そういう人々がこの世から去っていこうとする時代でもあった。大岡昇平は1988年死去、これは僕はまったくおぼえてない。小林秀雄は1983年。もちろんおぼえてない。小林秀雄の名前をはじめて知ったのはたしか高一の全国模試の出題文だった。安部公房1993年、埴谷雄高1997年、なんとなくおぼえているような気もする。中上健次1992年、これもおぼえている。朝日新聞に「軽蔑」を連載していて、その直後だった。それほどきちんと読んではいなかったし、当時、筒井康隆とかを除けば、僕は同時代を生きているほぼすべての小説家に興味がなかった、というかそういう興味のありよう(小説という「手段」)を、まだ知る以前の段階だった。だから訃報をみたときは、あら、死んでしまったんだ…という感じだった。46歳という没年齢も、まだ学生だった自分にとって関心の範疇ではなかった気がする。しかしもはや、そんな僕も、50歳を迎えようとしているわけですからね…。暑さも堪えるわけだよそりゃ。