埼玉県立近代美術館で企画展「戦後日本住宅伝説ー挑発する家・内省する家」を観る。面白い。人間って面白いなあというか、戦後半世紀以上の時間を経て建てられたこの歴々とした建築物の数々を見て、人間のある種の業の深さというか呪われてる感というか、はっきりいって、この人たち全員ちょっと頭がおかしいというか、やや呆れる思いにとらわれなくもないのだけど、でも面白かった。もちろん頭がおかしいのは今も昔も皆そうであって、人の事は云えない。


とくに渋谷区にある東孝光「塔の家」が印象的で、6坪の敷地に6階立ての鉄筋住宅というもので、玄関を開けるといきなり階段になって、上るとキッチン、さらに上がるとバストイレ、さらに上がると部屋、さらに寝室…と続く、のだが、映像や写真を見ていると、その空間が、狭い。ということよりも、外に近い。ということを強く感じる。というのは、どのフロアも南側には窓があって、外光が入ってくるのだが、それが窓というよりは足の爪先から十数センチくらいのところにガラスが一枚あって、その向こうは、もう外で、実際に渋谷の路上が、ほんの目と鼻の先にある。で、今の自分が室内にいるけど、ちょっと位置がずれたら、あっという間に外にいることにもなる、という感じで、それが個人的には、僕の場合、住まいというよりは、まあ例えばレストランとか居酒屋なんかに居て酒を呑んでいるときに、自分は今、こうしてここにもっともらしく坐っているけど、あのドアの向こう、ガラス一枚隔てた向こうが、いきなり路上だというのは面白いなあ不思議だなあと、のんでるときは、けっこうしょっちゅう、そんなことをぼんやりと思っていたりするのだが、そういうときの感じを思い出す。


帰って、DVDで「男はつらいよ」の一作目を観る。倍賞千恵子の初登場シーンは、その可愛さというか、可憐な感じが、ほとんど稲妻のように衝撃的。誰でも知るとおり倍賞千恵子はこのシリーズの全作品に出演していて、以後ひたすら「さくら」なわけだが、登場してから目の前の男が兄の寅次郎だとわかるまでの数秒間だけが、まだ「さくら」ではない女性として存在していて、だから兄だと気付いて表情が明るくなった瞬間に、観ている者のこころにある種の失望が広がっていく。


しかし寅さんも第一作目はまだ意外と他人っぽい緊張感があるというか、いつもの安全で無害な寅さんではなくて、けっこう本格的なフーテン、チンピラの雰囲気があるというか、気に入らないことがあって怒鳴り散らす様子や、さくらを平手打ちにする態度など、以後シリーズになってからではまったく見られなくなるある種の煤けた感じ、荒んだ凄みのような雰囲気が漂うところは、さすがにまだ一作目だからというところか。連載漫画の第一話目の主人公が感じさせる、何か頼りない寄る辺ないような、不安な感じ。きっと「ゴジラ」の一作目なんかも、その時点でその怪物のことを客も作り手も今ある以上は誰も知らないのだから、とうぜん我々の知っている「ゴジラ」ではない、得体の知れぬ別の不気味な迫力、というか、背後に不安の貼り付いた恐怖心のようなものを、そのときその怪物も、まとっていたのだろう。