朝倉彫塑館にはじめて行った。始めから行くことを目的としていたわけではなく、たまたま通りかかって、あ、これが朝倉彫塑館か、と思って、どうする?見てみる?と言って、見ることにしたというだけだったのだが、これが館内に入ってみたら驚いた。靴を脱いで入場料を払って、すぐに巨大なアトリエに通されることになるが、このアトリエの広さと天井の高さにほぼ言葉を失う。ほんとうにこれが個人宅なのか?床の板目といい天井といい壁といい窓枠といい、見惚れるしかないような素晴らしさ。さらに続く書斎や茶の間や寝室や応接室などの、もうあまりにも素敵な昭和初期の住宅建築であり、正直展示作品を観る余裕はなく、ひたすら建物そのものをみているだけという状態。靴を脱いで靴下だけで木の床を歩き回っているから、足元から氷のような冷たさで身体の芯まで冷えるが、そこがまた昔の住宅の中にいるという実感を強く感じさせてくれる。この寒さの中で、例えばこの居間にただじっと座っているというとき、それはどういう感じだろうかと思って、たしかにそれも有だ、そういう感覚というのはたしかに有ったものだ、と思った。それにしても、こんな邸宅をたかが一介の彫塑家が建てることができるというだけですごい。僕なんかはなぜか、京都奈良とかの昔過ぎる建築物とかだとむしろピンと来なくて、やっぱり明治以降、戦前の建物により強く反応するみたいで、これはもう、やっぱり今後も、とにかく昔の金持ちの家はなるべくたくさん見ておきたいと思わされた。勿論、今の金持ちの家も可能なら是非見学したい。


DVDでアルフォンソ・キュアロンゼロ・グラビティ」を観る。冒頭の数分だけ、高所恐怖の感覚におそわれたが、やがてその感覚は消えた。そうか、これは、落ちないのか。海中というか、つまりこれは水の中だな。そういう感じみたいなものかと思ったが、でも手や足でもがいても自分の意志では何も行動できないから、水中ではない。何もないのに、落ちないし、自分では移動できなくて、ヘルメットをかぶった自分の頭が上の方向を見ていて、その周囲を地球や夜空がぐるぐると回っていて、それが嫌なら、必ず何かに掴まってないとだめ。ビー玉が机上をちょっと傾けたら平気で動き出してしまうように、自分の意志ではどうしようもなく、一度でも動き出してしまったらこれは恐ろしい。モノに掴まるにせよワイヤーが絡まって止まるにせよ、実に乱暴な制御の力で、跳ねたときの反動力にも耐えて、過酷さにくたびれる。つまり宇宙とはこれほど実も蓋も無いというか、シャレにならないというか、これだけジタバタして頑張らないといけない。というか、その意味では落ちているのと変わらない。高所恐怖症的だが、もし落ちても到達面が無いということか。もし落ちたら、そのまま永遠に落ち続けて酸欠になる。しかし最後は上手く地球に落ちることができて、落ちた海の中から浮かぼうとしたら宇宙服が重くて浮かび上がらないが、あわてて脱いでようやく浮くことができた。そうか、水中なら浮くのか、というのを思い出す。水中だとかなり強力に浮く。地面だとこの通りだ。身体にかかる負荷でこうも色々とあるのかと思うと、自分も脆いと思って頼りない気分になってくる。