ネットワーク以前

僕が学生だったのは90年代半ばだが、当時、大学の先生が言っていた言葉で「制作は自室にこもって一人でやる方がいいと言う考えもあるけど、学生のうちはできるだけ学校に来てアトリエで制作するべき。学校が重要なのは、同じような立場や環境で制作している人間が自分以外にもいるということ、それが肌で感じられることだ。ことさら仲良くしたり話をする必要はないけど、同じアトリエで自分の背後に、同じように誰かが制作しているのを感じるのが大切なのだ。」というのがあった。

僕はどちらかと言えば「自室にこもって一人で」が好きだった。何しろ部屋で真夜中から明け方まで勝手に仕事ができるのがいい。学校のアトリエに行くというのは、朝早くから学校に行かなければいけない。埼玉の実家から学校に行く道のりはなかなか遠くて、それが面倒臭いのだった。(武蔵美のある部の部室なんかは24時間電気が点いていて誰かがいて、そういうのは羨ましかった。)しかし狭い自室では出来る事の限界もあり完全な「自宅派」ではなかった。

かなり広いアトリエを三人か四人で使っていたように記憶する。各壁に制作中の作品が並んでいた。同じアトリエで一緒に制作しているから和気藹々で楽しい毎日なんてことは全くない。大抵は無人でガランとしていて、たまに同室の人がいると妙に気を遣ってぎこちなくなったりもした。何か軽く雑談レベルで話すこともあった。とくに仲が良いわけでもないが、作品はお互いにいつも観ていて、口には出さないが何かを思っている。自分の制作過程も相手から見られていることだろう。あるか無いかの緊張感を、薄っすらと感じていると言っても良い。そんな環境で制作を続けて、けして部屋にひきこもるのではなく、そのような他人の目に曝されている緊張感のなかに過ごすことが重要なのだという話。つまり内省しながらも、外へアクセスできる体勢で常にいろということだ。僕はそれが、あまり上手くなかったし、何しろ心技体が、総じて未熟で、内省はできても外部情報を上手くインプットして自分を更新していく力があまりにも弱かった。書物や音楽や映画へのアクセスも含めて、経験をマネジメントする力が不足している、これも要するに「情弱」の部類と言えるだろうか。自分の殻への配慮が強すぎて、その内側で守りたいものの本質も見失うようなところがあった。

もしかするとネットワークが張り巡らされた今の時代なら、良い意味での「ひきこもり」が可能だとも言えるし、一人の時間を最大限に確保しながら、ネットワークを介して外気を感じ、誰かの背中を意識して、ほどよい緊張感を持続して、バランスの取れた進み方が可能かもしれないが、その一方で、今も昔と変わらず、自分のようにどうもイマイチ情報を取り回すことができないという人は、ひょっとするとわりかし多くいるのではないかという気もする。フラットなライン上に立たされて、ある共同体の中で上手く立ち回れないとか、情報量で負けるとか、そういうことは大した問題じゃない、今となってはそう思うこともできるのだが、しかし自分が好きなものや良いと思った何かを、あまりにも再帰的視点を得られないがゆえに見失ってしまうことが、いちばん由々しき事態なのだと思う。あなたのやってるそれはすごく面白いと、少なくとも私は思うんですけどねという誰かの言葉はとても重要で、それが全く無しで自分の好きなものをはぐくむ、その感覚を維持し続けることができる人は稀だ。たとえ共感でなくて否定・批判であっても、それは必要だろう。それらを経て、私の好きなもの、それがつまり、わきまえるべきもの、保守すべきもの、積み重ねるべきもの、すなわちこの私、につながるのだろう。

今やネットワーク網は充分に行き渡り、手段は増えたし、マニュアルも出揃ったし、それを使うかどうかは自分次第だし、結果も自己責任ではあるのだろうけど、本質的な困難さは、今も昔もあまり変わってないのかなとも思う。自分をふりかえってみても、よくわからないところが多い。これで良かったのでは…という思いと、いや良くない、本来こうではなかったはずとの思いが、分かちがたく混ざり合っている。