メタセコイアの高さを見上げる、または、川の流れを橋から見下ろす。その逆は可能か。川を見上げるのは難しい。たとえ水中に潜った状態から上方を見上げても、その川を見上げたことにならないだろう。

しかし木を見下ろすことのできる位置にまで移動するのは比較的容易だ。たとえば僕が住んでるマンションの入口脇に立っている木を、階段を上った踊り場から見下ろすことはできる。そのときの木の、ひとかたまりとなった見え方。

落下の危険を背負いつつ、高所へ昇る。水死の危険を背負いつつ水中へ潜る。人間にとって乗り物とは、移動手段であるとか運動性拡張であるとかより、まずあらたな視点獲得のために必要とされたのではないかと思う。乗り物を介して、人間が人間以外のものとのあらたな関係を築くために必要としたのではないか。だから乗り物を利用する人間は、必然的に死のリスクを背負うのではないか。

ならば想定通りに停止できなければ物理的破壊=死をともなう高速移動によって、人は何と関係したがっているのか。やっぱり鳥なのかな。空を飛ぶということ以前に、彼らがもともと自身のうちに記憶している速度感への想像をもとにしているのか。あるいは虫、ノミの跳躍とか、蟻の移動とか、自動車や飛行機とはつまりそういうことなのか。