相変わらず咳が止まらないのはともかく、匂いと味を感じられない日々がつまらなすぎる、ので、午前中のうちにと思って近所の耳鼻咽喉科へ行く。普通の風邪ではあるのだが、所謂急性副鼻腔炎の症状がまだ治まっていない状態とのこと。鼻の奥に細い管をぐいっと挿されて、ゴーッと吸引されて、どうです、鼻通ったでしょ?と言われて、そのときはたしかにすっきりと「貫通」した感覚になって、ああ通りましたね!とよろこびの声を出してしまったが、これは単なる一時的な措置で、完治にはまだ時間が掛かりそう。ネブライザー吸引などして、薬局を経由して帰宅する。

その後しばらくは、治療を受けた効果がかすかに感じられて、まず家の中にいて何か上手く説明できないような、まるで木や土が雨に湿ったような不思議な香りが、感じられるような感じられないような、曖昧な匂い感知のシグナルが弱く点滅しているかのようだった。これは普段なら意識もせずに無視しているような、生活ぜんたいが放っている匂いそのものなのだろうか、あるいは湿度が極端に上がった外気が、家の中にまで侵入してきてあらゆるものに浸潤する、その化合作用を含む匂いに、なぜかそのことだけに反応しているとか、わからないけど、とにかく不思議な嗅感覚が微作動し続けていた。

その後シャワーを浴びて、ふだんなら当然、浴室にあの洗髪料の香りが湯気と混ざり合って、入浴の香りがあたりに放出されるのだろうが、今の状態ではそれもわからないままだ。しかしビールを開けてグラスに注いだそれを飲んだとき、かすかに、ほんのかすかにあの懐かしい苦味をともなった香ばしさが、一瞬の夢のように脳内に立ち上がってきて、おおー!かすかに味がわかるみたいだ!と、思わずその場で大騒ぎしたくなる。もちろん通常時のまだ半分の感覚にも達してない、遠くでちょっと上がった小さな花火の輪を偶然見たような程度のことだけど、それがかえって高鮮度な目覚しいような感覚に感じられて、ほとんど生まれてはじめて飲んだビールの感激に近しいほどにも感じられて、しばし愉悦感にひたる。結局一瓶飲み干して、その味わいが充分に楽しめたわけではなく、垣間見た花火はほんの一、二発足らずに過ぎなかったけれども。