雨は降るがままにせよ

タミは食べ物を運んで来た毛布から古いジャラバを取り出して着、毛布をダイアーに渡し、そして半分ほぐれているマットをパティオから引きずって来て反対側の壁に沿って広げ、その上に寝そべってパイプを喫いつづけた。ダイアーはいつしか数度睡魔に襲われかけたが、タミがまだろうそくをつけたまま起きているので警戒して突然目を大きく開け、薄暗い藁の天井と、ゆらゆら揺れている蜘蛛の巣をながめた。顔をやっと横に向けてひとみをこらすと、タミはすでにパイプを床に置いて眠っているようだった。ろうそくはかなり短くなっていて、あと五分すれば消えそうだった。三十分と思える時間ダイアーはその焔を見つめた。ときおり屋根に激しい雨音がし風が吹きつけて来て、戸をガタガタと鳴らし誰かが性急に中に入り込もうとしているような気配がした。ろうそくの燃え尽きたあとはなにも見えなかった。また目を開けたときは真暗で、ずいぶん長い間真暗だったような感じがした。本当は自分は眠くないのだと突如気づいて腹を立て横になっていた。はるか下のほうから水の流れる音がそこはかとなく聞こえ、発作的に吹く風で戸が控え目に叩かれるかと思うと、次には大きな苛立たしげな音を立てて戸は揺れている。ダイアーは舌打ちし、明日の夜は戸をしっかり固定させようと思った。目を覚ましたままこんな幻覚を見た。右が急斜面になっている狭い山道を歩いている(あるいは車を運転していたのかどちらだかわからなかった)自分の姿を見た。地面ははるか下にあったから断崖の上を一瞥すると空だけしか見えない。道はさらに狭くなる。行かねばと思うが、もちろん行くだけではすまない。道は果てしなく続き、時も果てしなくつづいているのだろうが、彼は時でも道でもない。彼はこの両者の間にある余計な要素であり、彼の危なかしい存在だけが彼には重要で、彼だけがそれを知るが、ほかの何よりも重要になっている。問題は自分の存在を保つことであり、自分の意識を働かせ周囲の現実の仕組全体をしっかりと把握することで自分の進行を促すことであった。現実の仕組と意識があるから、自分が何をしなければならないかを知ることはできる。しかし知ることと行うことの間にはギャップがあって、このギャップを飛び越えるのに必要な努力をすることができない。「しっかりしろ。しっかりするんだ」と言いきかせた。夢うつつで横たわっていても筋肉が引きつっている。と、戸がガタガタ鳴って意識がはっきりし、このとるにたらない幻覚を闇の中で笑いとばした。すでに山の道を越えたではないか、こんなものは文字通りとりとめのない想像だと思った。もう過ぎ去ったことで、いまはこの小屋にいる。いまこの状態が現実のすべてであって、これだけを考えればいい。部屋の中央に向かって腕を伸ばしたときにタミの手に触れた。その手はブリーフケースの上にあって温かく、柔らかだった。

(280〜281頁)


ちょうどいま読んでいる箇所の部分を引用。もう残り50頁足らずで読み終わってしまうのだが、この展開…。もう悪い予感しかしないというか、もうこれ以上事態が良くなるなんて、誰が信じられるだろうかという、如何にもな、どうしようもなくボウルズ的な、ほとんど緩慢な自殺と言いたくなるほど希望なしの世界へと、ダイアーは旅立って行きそうな気がしてならないのだが、でもだからこそ、というか、その死、自分の生の意味付けの変わる、したがって死の意味も変わる場所へ、どうしようもない力の下へ、、って、まあ、そんなの今さらどうなのよ、とか思うのは思うのですけれども、どうにもしつこく読み続けてしまうのはなぜなのか。さて、どうなるのか。