映画を観るのは、ある意味で他人の主観に自分を明け渡すようなものか。
映画を観終わったあと、印象に残った場面を思い出すとき、それは自分自身の過去の記憶を思い出しているわけではないが、かつて経験した楽しさや緊張としてそれを思い出している。
それは非・私的なイメージ、つまりそれは他者の主観、誰かの経験した過去としての、誰かの記憶を自分に再生している。
他者の記憶を自分に再生することは、快楽でもあるし苦痛でもある。他人という枠組、スケール感、テンポ、広がり、その計り知れなさが、まるではじめて訪れた場所のように、どこか自分を途方に暮れさせるものがある。
しかし映画が基本的に、観れば観るほど、さらに観たくなるのは、やはり他人の主観を果てしなく旅する楽しさに浸っているうちに、それをさらに求めてしまうからだろう。
しかし明け渡したくないと思うときもある。それは気分による。