寒波


ニュースが言ってた通り、朝から相当に寒かったが、窓の外は気持ちが清々とするような快晴だった。それも午前中の早いうちだけで、昼前には曇った。ちょっと古本屋を見て、そのあとで駅前の地酒まつりの催事場で白い息を吐きながら飲めたらいいと思った。テレビのニュースで、センター試験の会場が大雪になって大変な状況が映っていた。東京以外の全国各地で、大荒れな天気のようだった。


センター試験、そんな時期なのかと思った。受験なんて、今思うと信じられないくらい面倒くさい、よくもまあ、あんな時期を耐えたものだと思う。戦争に行く若者はすごいなあ、というのと同じレベルで、受験に耐える若者はすごいなあと思う。ほとんど病気というか、理解を越えていると言って過言ではない。でもまあ、好きでやってる訳でもないだろうし、拒否する訳にもいかないんだよね。そういうものだ。だって、僕だってそうだったもん。誰よりも忠実な犬だったはず。毎日百キロの荷物を背負って、吹雪のなかを粛々と行軍していたようなものだ。それを、とくに苦痛だとも思ってなかったかもしれない。いずれにせよ、おとなしく従うしかないのだ。ずーっといつまでもそうなのだ。いいよいいよ、そうしてろそうしてろ。後ろからも、どんどん来るぞ。並ばないと食えないラーメンもあるということだろ。


センター試験の日は今年一番の寒波が来るかも、みたいなニュースを何日か前にも聞いたのかもしれない。それで、ぼんやり雪景色の真っ白を背景にして、黒っぽいコートを着た幾人もの高校生たちを、ぼんやりと想像したかもしれない。彼らのうちの何人かは、当日思ってもみなかったようなアクシデントに見舞われたかもしれない。彼らのうち何人かは、当日寝過ごしたし、彼らのうち何人かは、前日から風邪をひいて、当日の早朝医者に行って坐薬をうってお父さんの運転する車で会場へ向かった。彼らのうち何人かは、冷え切った会場で嫌な予感を感じた。ストーブの熱が、額や頬を焼き上げるようだった。何人かは、今まで想像もしなかったような別のことに、ある瞬間ふと気を取られた。


ものすごく大勢の受験生がいた。あまりにも多すぎて、人間一人一人を識別できない。おびただしい数の群衆だ。見渡す限り、人でぎっしり、それが地平線の方まで広がっている。とつぜん、巨大なシャベルが、まるで土砂をすくうかのように、群衆の一部に食い込んで、すくいあげた。そのまま旋回移動して、ガクンとうなだれて、中のものをざーっと落した。あのシャベルですくわれた子たちが、今年の不合格者ですか、と聞いたら、そうです、でもあれだけじゃないですよ、あれを、百回分くらい連続してすくいます。全体の何十パーセントか脇に除けます。そうなんですか、毎年そうなんですか、それじゃあいくら想像しても無駄だ。彼らのうち何人かが、どうだったからと言っても、そんなことはこの光景を見ている限り、とるに足りないことですね。そんなことは、ただの想像に過ぎないですね。こうしておびただしい数いて、そのうち、ああしてシャベルですくいあげられたら、それが終了ということですからね。ある意味、楽な話だ。生きたか死んだか、どの棒が倒れてどの棒が立ってたか、そういう事だ。何十万人もの十八歳や十九歳や二十歳の、まだ新鮮な血液と筋肉たち。しなやかな神経組織たち。肌理の細かい皮膚たちだ。愛されて育てられた者たち。かわいそうな子供。お母さんがかわいそう。友達に会うのが楽しみ。


神保町を歩いた。岩波文庫の赤帯をずーっと見ていて、後になってから間違えた青帯を見なきゃいけなかったのだと思った。日が暮れると、いよいよ寒さが凄いことになってきた。これこそ冬だな、鼻も耳も頬も指も全部腫れあがったように麻痺してそのままもげて地面に落ちそうだった。食材を買って帰宅。あまりにも寒すぎて、結局地酒コーナーに寄り道できず、後ろ髪を引かれた。