透明


健康診断再検査の結果届く。それを一瞥して、やがて外出。山田正亮展(二回目)鑑賞。がっつりと、閉館まで入り浸る。へろへろに疲れたが、やはり最高だった。WorkCの100番台までとそれ以降の差異、そこに生成した変容とか、WorkDの200番台半ばまでの静謐なうつくしさを重点的に感じ取ったり(WorkE以降の残念な痕跡をあらためて確認したり)しながら過ごしたつもり。このあと図録など見返しながらこのあともう少し反芻したい。雨の降ったり降らなかったりな、寒いけどまあそれなりな、どっちつかずの日。浅草橋で食事後、秋葉原まで歩く途中の空が、20:30頃なのに、まるで朝方の三時半とか四時前くらいな、ぼんやりと薄明るい妙な色をしているのを見ながら、酔った頭をもたげてふらふらと歩いた。



今、youtubeを見てると、何を見ててもすぐサチモスのPVにつながってしまうような感じで、本屋の音楽雑誌の表紙もみんなそうだし、ほんとうにものすごい勢いだなと思う。数日前にsongsというテレビにceroが出ていたのを見たら、演奏しているメンバーの一人がクラックラックスのボーカルの人だと妻が言っていた。サチモスはともかく、ceroもけっこう楽曲的だし、やっぱりあの手の感じは、ものんくるもヤセイコレクティブも、作り手の生息地域は、お互いぜんぜん無関係というわけではないのではないか。ある意味すごい狭い世界なのかもしれないな、などと想像する。


で、そのままyoutubeをだらだらクルージングしていて、星野源ナンバーガールの「透明少女」をカバーしているのを見た。へー、、そうなのか。。いや、星野源。まったく聴いてなくてまったく知らないのだけれども。そういうやり方のカバーは、あえてそうやってみると、なるほどそう聞こえるのか。・・それにしても、昔のナンバーガールの演奏を、今や一年に一回か二回くらいしか聴かないけど、聴くたびにこれは、ほとんどキリストというか、救世主、九十年代ってこれがあったから持ちこたえられたんじゃないの?みたいな、そのくらいギリギリな、崩壊寸前で奇跡が起きて世界が救われたみたいな、そのくらいの出来事に感じると言ったら大袈裟か。まあ僕は、このバンドはほぼリアルタイムで聴いてはいないけれどもそれはあんまり大きな問題ではなく。で、そのあと橋本愛という人(あまちゃんに出てた人)が、ナンバーガール愛を語っている音声が流れてきて、それを聴いて、へー、、これは。たまたまでも、こんなのを聴いたら、それこそ「萌え」、だね。こういうの、昔なら考えられなかったな。いや、現実いくらでもあったことのはずなのだけれども。「萌え」って、要するに本当はいくらでもありえたことを、そうだよ当然でしょ、と云って平然とそのままに晒しているような感じに対して言うのかもしれないな。いや、男子の勝手な性愛的妄想であっても、その内訳にそういう要素が作用しているというか、そうだよそうだよ、俺の思ってた世界ではたしかにそうだった、みたいな。いや、だから「世界が平和になってほしい」とか「誰もが幸せになってほしい」とか、そういうことを「私の思ったとおりの世界になってほしい」とは明確にはっきり区別付けるために、まず私はどうすればいいのか、みたいな、一番最初の、根源の地元の家の周囲半径数メートル圏内からはじまる第一の問題において、まずはさしあたり、ひとつの鋭い解決案としての、突如としてうかびあがる、透明少女なイメージ、みたいな。