湯気


日曜日の朝の、快晴だった。ヒヨドリメジロが常緑樹の枝葉を揺らしている。駅まで歩く途中、餅つきをやっていた。


餅つきやったことある?と聞かれて、たぶん無い、と答える。子供の頃から、餅つきをやりたいと思ったことがない。餅つきをしている人たちを見ているのは、好きだったかもしれない。とは言っても、臼と杵で共同作業してる姿ではなく、その脇でモクモクと真っ白い湯気を立てている鍋や釜の前ではたらく人を見てるのが好きだった。


冬の寒空の下で煮炊きをすると、湯気の白さがまぶしいほど立って、ああいうのがなぜ、子供の頃好きだったのか、よくわからない。今もなんとなく嫌いではない。冬のいい感じ。


北杜夫「楡家の人びと」の冒頭の場面の鮮烈さ。炊き上がって湯気をもうもうと立てる真っ白な米と、伊助爺さんの黒く汚れた着物。白と黒、光と影、冬の冷たさと熱さ、乾燥と湿気、それぞれが同時にめまぐるしくぶつかり合う。まさに冬の日差しのように強烈な眩しさで、一瞬目が見えなくなる。そして、暗い森の影、湯気に隠れた先の…。