平川門から入って、皇居東御苑内をぐるっと巡る。冬の気配はまるで無くて、陽の光に干されて乾いた空気がこの城跡の敷地内のすみずみまで行きわたり、紅葉はところどころ、赤かったり黄色かったり、どうも冴えなく色あせていたり、中途半端なまま、もう終わりに差し掛かっていた。冬の地味な装いの老夫婦、外国人観光客、はしゃいだ声を出す女と俯いたサングラスの男、中南米、東アジア、中国、欧米の人々の表情と言葉と声。ここを訪れた誰もが、光と影のまだら模様になって歩いていた。

江戸城のぴったりと継ぎ目なく積み重ねられた石垣。あの石垣を作り上げた石工が昔いたのだろう。石垣といえば、亡父の郷里も石垣が有名な町で、やはり昔は石工が多くいたのだと思う。民俗資料館だの図書館だので、そんな本ばかり読み漁って、昔のことを調べるのは、さぞ面白いだろう、一か月ばかりそんな毎日を過ごすとしたら楽しかろうなあ、そんなことをぼんやりと思う。

大手門から出て、歩いて丸の内の丸善に行くが、自分はこれ以上買いたいモノや気になるモノを増やさないようにしておきたくて、とくに何も買わずそれどころかとくに何も見ず、妻が戻ってくるまでやや手持無沙汰に店内で過ごす。

新刊書店を見るのと図書館を見るのとは当然面白さが違って、図書館はもう誰からも顧みられず何十年も閉架書庫にあるようなのを、こちらのふわっとした気まぐれで一時的な興味だけで引っ張り出してくることの面白さがある。そのとき引っ張り出されてくるものは本だけではなく、本にまとわりついている当時の残滓で、その当時から見られたさらなる過去だったりする。いわば過去が二重化する。

なるべく忘れずにいることは決して良いことでも正しいことでもないはずで、何年も忘れられたままの場所を大切にした方がいい。というか、自他ともにほどほどで、あまり大切にしない方がいい。