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WONKのライブを体験した以降、すれを孕むリズムじゃないと、なんとなく物足りないような気にさえなる。レコード音源だけだと絶対にそうは思わない部分を、ライブ体験の記憶が補完してしまうので、どうしてもそれらが良く聴こえてしまう。


ドレイク、かなり良い。ティグラン・ハマシアン、かなり良い。ジャミロクワイ、なかなか良い。水曜日のカンパネラ、なるほどこれぞ若者な語彙、人と場の固有性。その意味で真っ当なロック・ミュージック。でもライブに行ったら最強のアウェイ感を味わえそう。サチモスは悪くないけどこのオラオラ感がどうしても…と言ってるのは妻。オラオラ感はバランスの問題に過ぎず作品が他者への贈り物であると同時にオラオラな自己顕示でもあるのは何もかもそう、とはいえでも趣味はどうしてもある。 ラッキーテープス。まあ。でもこれはこれで、これだとちょっと歯応え無さすぎでは…でもライブ見たらまた違うだろう。それを言ったらサチモスだってそうだろう。なにしろライブ。なんであんなに音が良いのか。昔より格段にライブ環境、いわば音クオリティがアップしているのだろうか。あれなら音楽はもう、本来そういうちゃんとした設備の場所で聴くべきもの、と考えるのもありかもしれない。


むかし、二十年以上前だが、バイトしてた店に、客としてよく来ていた女性たち。当時、僕は二十代前半で、彼女たちは三十前くらいだったろう。当時の、いわばかっこいい系なスタイルを志向する、今的に言えば意識高い系みたいなことなのか違うのかよくわからないけど、とにかくモチベーションある系な女子たちで、音楽も演劇も映画もそれなりに観る人たちで、その人たちの仲間に連れて行ってもらって、僕はブルーノート東京だのmt.fuji Jazz Fesだのも初体験したのだった。当時、たぶん遠征の前日に、彼女らの部屋で皆で待ち合わせて、部屋に忽然とMacintoshの筐体が鎮座しており、これ何するものですか?と聞いたら、さあ、買った私もあんまりよくわからなくて・・・みたいな反応だった。で、その彼女たちと話をしていて、あのね、私たちくらいの年になるとね、SMAPというグループの魅力が、すごくわかってくるのよ。そういうものなのよ、と、しみじみ語られたのを、なぜか今、思い出した。当時のSMAPは、メンバーもまだ二十代前半で、まさに全国的にブレイクしはじめて間もない時期だったように思われる。


二十代が、その後の自分を決定してしまう。というか、二十代をベースにした動き方、考え方しかできない。でもその意味では僕も孤独だった。妻もそうだ。孤独というより、個別プランを選択する。それしか選択肢がないのだから仕方がないのだ。


…でも今そう書いて、そうでもないな、と思った。それはそれだ、今は今でしかない。そこにつながりは、実は、さほどない。


妻は当時、新宿・大久保間の古本屋とかそれ系の店をひたすらうろうろしていたらしい。それで今の脚力を培ったそうな。まったく、さえない時間の堆積の二乗ではある。


…でも今そう書いて、そうでもないな、と思った。それはそれだ、今は今でしかない。そこにつながりは、実は、さほどない。