恋人


本を読んでいて、著者が語ろうとしているそのテーマやモティーフに対する、ものすごく熱い情熱というか固執を感じることはある。語ろうとしてるそれ自体はよくわからないけれども、語りたい情熱だけは伝わるみたいなことも、ある。この繰り返しには普通じゃない、とか、この独特の言い方が考えのパターンの基調だろうとか、そこに嗜好があってゆえにガードの弱い一枚岩な部分だろう、なぜ、そう思ってほしいと思ってることとは別なところで、この文は魅力をたたえているのか、とか、色々と思ったりもする。こんな言い方は、真剣な人を、上から醒めた目で見ているみたいで嫌らしい。そんなつもりではない。しかし読書というのは、どうしてもそういう側面はある。最初からノリノリで読み始めるわけではなく、最初は面白くても途中から飽きたりもするし、逆に後半から気を取り直したりもして、これはこれで良いのかもと考え直したりもする。そういうとき、自分はそう思うがこの書いてる本人はどう思ってるのかは、常に気にしてもいる。しかしこちらからは、何もできないし、向こうからも、何もできない。そもそも向こうは、こちらを気にしてないし、こちらのことを知らない。本を読んでるとき、その著者のことを、その人物の年齢性別を問わず、なんだかやけに張り切ってその気になっている、自分の考えに自分で夢中になっていて、カーッと熱くなっていて、ぶっ飛んでしまっている、手の付けられないバカな若い男のように感じることがある。そして読者の自分を、今更相手に何も言わないし、言ってもどうせ聞かないし、だからあきらめてほっとくけれども、だから別にその相手を嫌いなわけではなく、自分を嫌いなわけでもない、でもだいたいのことは、きっと自分が至らないせいで、自分が悪い部分も多いのだろうと感じもしながら、いつものようにただ黙って後ろから付いていくだけの、おとなしい恋人の女性のように感じることがある。