黒い裾

黒田文「黒い裾」こんな小説があるのかと思った。そうか、昔ってこうだったのか、と実感する話だ。もちろん昔は全てこうだったというわけではなくて、かなり格式ある立派な家族親族での話だろう、ということだけど。今、葬式というのはほとんど葬儀屋に頼むから、喪主だろうが親族だろうが、この小説に書かれているような体験はあまりしないだろう。この小説で描かれているように、昔は葬式となると親族のうちの幾人かが葬式係として敢然とはたらいたのだ。何々家の葬式なら必ずあの人とかあの人がテキパキと裏方で仕事をしているはずで、葬式とはその家の運営状況の健全性を堂々垣間見ることのできる絶好の機会だともいえる。主人公の千代は十六歳ではじめて母の代わりに親戚の葬儀に訪れて、見よう見まねでその場の手伝いをはじめて、やがてニーズに気づき始めて、自らの働きの成果を提供する場を知り、自己を見出していく。やがて親族の冠婚葬祭行事全般においては常に欠かせぬ役割を担うことになる。葬儀のときにしか合わない親戚の男、その男から求婚されていたかもしれない可能性とか、叔父の死だとか、戦争だとか、空襲の残虐だとか、いろいろあって、しかしそれらのわらわらとした時間の流れをきゅっと束ねるように、つくった喪服の黒が光っている。千代は、うつくしいのだ。ことに喪服が似合うのだ。それは女性としての美しさであると同時に、家の役割を担う働き手としての美しさでもある。ある意味、若い会社員がビジネス書的な参考文献として読むことも可能かもしれないような小説である(幸田文はわりと皆そういう話ばかりだ)。短編の短さなのが惜しいようで、物語は戦前から戦後にかけてあっという間に時間が経過するので、もっと重厚な長編で読んだらどれほど素晴らしいだろうと思うところもある。終盤の葬儀準備の場面での引き締まった厳しさが素晴らしい。まあ、今は既に滅びた何かをふりかえって読んでいるのだという思いはあるのだが。