施餓鬼


十時になったので寺へ向かう。施餓鬼供養はじまる。前日とはすこし趣の違った、しかしやはり和太鼓のトライバルなオープニングテーマが奏でられる。別にマイクも何もない生音だが、しかし意外とけっこう音がいいのだ。空間全体に食い込むような乾いた感じの強い中低音で、装飾的な色気はない分ストイックな気持ちよさがある。坊さんが七人編成でお経の合唱、水向け、焼香。水向けするのも何十年ぶりだろうかと思う。夏だな、と思う。20分くらいで終わる。これで波切に訪れて参加すべき予定行事は全部終了した。亮太、よう来たなあ、あんたがここに来れて、それがいちばんの親孝行やぞ、ほんまになあ、あんたほんとうによう来たなあ、ほんとうに良かったわあ、等々、皆さん喜んで下さってなによりであった。お土産に干物と大量のあおさをいただく。もう見た目だけではっきりとわかる、東京のスーパーとか通販で買うあおさとは、まるで質が違う。これは絶対美味いやつだとわかり感激する。もらってばかりいないで、これからはちゃんとお金出して買おう。もっとも出来は季節にも左右されるらしい。二月が狙い目だとか。


12:30の鵜方発に乗りたいのに、切符売り場で僕の前のおばさんが買った切符が違うとか何とかわけのわからないゴネ方をしていて、売り場は一つなので僕の後ろに長蛇の列になってしまい、次が順番だった僕は発車時刻五分を切った時点で気が気ではない。もしこれに乗れなかったならば、四時過ぎに名古屋発の新幹線はキャンセルせざるを得ないが、今日はUターンラッシュのピークで指定席の買い直しなどまず不可能。見えるのは地獄しかないというところまで追い込まれる。ようやく窓口を離れたおばさんの後で猛スピードでチケットを買ってホームまでダッシュする。乗ろうとする電車が丁度ホームへすべりこんできた。ギリギリセーフだったが、ビールも何も買えなかったじゃないか。これから二時間、飲まず食わずだ。あのババア、などと怨みが脳内を渦巻く。とりあえず名古屋は予定通り出発できたが、しかし混んでいる電車はいやだ。何もする気にならない。ただじっとしたまま読書。図書館で借りた日本近代短篇小説選 明治篇1の坪内逍遥「細君」。六時頃に東京着。ちょうど仕事が終わった妻と待ち合わせる。突如生牡蠣を食いたくなって八重洲地下街に寄り道する。どろーっと疲れているが身体の内側だけさっぱりと洗われたような気分になる。しかし明日からまた仕事だなんて信じられないな。