箱根day2


起床して、みたび温泉へ。雨は止んでいる。しかし風が台風の雰囲気をたっぷりと含んでいる。昨日から度々iPhoneで気圧をチェックしているのだが、箱根湯元から仙石原方面に行くにしたがって気圧が急激に下がっていき、今まで見た事もない930hphを下回る世界へと進んだ。どの程度正確なのかわからないが、標高も700M以上と示されている。山の中にいるのだと思う。台風じゃなくてもこのあたりはこうなのだ。朝食を済ませてチェックアウトして箱根湿性花園へ向かう。この時期のしかもこんな天候の植物園に来るような、もの好きな人は少ない。窓口でチケットを切るおじさんも、なんでこの二人はわざわざこんな日に、と言いたげな訝しげな表情をしている。寂しいというより不気味で恐怖感をおぼえるような雰囲気の、無人の園内を傘を挿しながら周遊する。風の又三郎的な、いやもっと熱帯的な、高速移動する低気圧のもたらすドッドドッドド、ドッドドッドド、というスピーカーを叩いたような風の音と古いシンセサイザーから漏れるノイズのようなシャーっという音が始終響き続けていて、湿地に育つ自分の背丈ほどもある笹やその他の植物たちが、猛烈な勢いで一斉に身をよじるかのように風に煽られて右へ左へありとあらゆる方向へ振り回され続けている。この、普段の天候下であれば地味としか言いようのない人工湿原区域を僕は昔から訪れるのが好きで、妙なことにこの場所を歩いて移動するとき僕はある種の抽象表現主義の絵画を観ているのと同等な感触を身に受けている感じがする。今日の湿原は強い風に吹き曝されて密生する植物たちがあっちを向いたりこっちを向いたりしているのだが、それらはある力が加えられた痕跡をそのまま空間内に残して定着されているようにも見える。単純に言えば、それがある筆触というか筆跡のワンストロークのようでもある。自分の身体に対して平面的な存在感が視覚を通じて距離を縮めてくるときの迫力というか、空間の物質性がそのまま迫ってくるような迫力というか、とにかくそのようなインパクトを見ている気がする。しかも遠景の山の尾根は霧で完全に隠れていて、箱根で天候が良くないとかならず霧が出るが、僕はじつを言うと天候不順の箱根は好きで、なぜなら霧が好きだからである。霧は冗談のように景色の奥行きを消してしまって、今ここの限定された区域だけを問題にする。元々の我々夫婦の天候運の悪さで、ここ十数年のうちに何度か訪れた箱根はそのうちの半数とまでは言わないがそれに近い回数の天候が不順で、おかげでそのたびに霧を充分堪能できたのだったが、今回のように前日から翌日午前中まで延々降り続けてなおも降り止まないのはさすがに珍しい。まあ台風の影響だから仕方ない。せめて真夜中にさっと雲が切れて霧も晴れて、そのときだけ異様にクリアな星空が見えてくれたりしたら言う事ないのだが、今回それはかなわない。それどころか日中なのに薄暗く、ふと見たら幽霊が忽然と立っててもおかしくないような無人の夏草の原野である。気温は二十℃を少し越えるくらいで、冷たい飲み物を摂取したいとは思わない涼しさで、それもまあ快適と言えば快適だが、夏が完全に死に絶えたことの寂しさはある。後の旅程は省くが、今日の箱根はケーブルカーもロープウェイも芦ノ湖遊覧船もすべて運休で、人もまばらで、まるで大きな災害などで避難勧告が発令された後みたいな、ある意味すばらしい景色ばかりでおおむね満足した。夕方には帰宅。気圧も標高も元に戻って、最寄り駅に降り立った途端、何この暑さは!?と誰彼構わず襟首掴んで問いただしたくなるレベルの暑さと湿度に包まれた。東京地方に台風の影響は皆無だったのだろうか。ほんとうにうんざりさせられる暑さ。霧と薄暗い空と雨は、どこへ消えたのか。たったの一泊しただけだが、戻ってきたら間違えて熱帯雨林の国に来てしまったかのようだ。