壁の夢を見ていた。目の前に、というか、自分がいて、壁がある、そのような状況の夢だ。壁に閉ざされているということではなくて、そんな閉鎖的な状況ではなくて、むしろ普通の、誰もが行き来する、一般的な、通常の、ありきたりな場所に近い、そんな場所に自分がいて、壁を意識している。壁、つまり閉ざされている、ということを意識している。いや、そうでもない。閉ざされているというわけでもない。壁は壁に違いないけど、壁の向こうとか、壁が守る何かとか、そういうのは別にどうでもいい、というか、そこまで考えてない、壁、つまり、壁であるからには、その表面のことであり、その表面を見ているうちに思い浮かぶ、想像上の壁の厚みのことを、たぶん考えてはいる。表面は自分との、自分が伸ばした腕の先の、手の指先がふれる、そのときに返ってくる感触の、そうやってはるばる旅するかのようにして、伝わってきたものが壁の表面らしい、表面だという、しかも、そのときにその向こう側を、その指先から返ってきた何かを受け止めつつ、その向こう側、その向こう側と呼ばれる、そちらの領域、歓迎されるような、ああまたかと思われるような、いつでも新規登録お待ちしておりますし、今更来ても来なくてもどちらでも、そんな、ありきたりのところへ入る経路が示されて、ああ、それじゃなくてもいい、なにしろもう少し、身体の問題をなんとかしなければ、壁と身体、そちらだろうと、なにしろ今、じょじょに自分が壁に近づいている、自分の身支度を整えなければいけない、その緊張感を手早くかき集めるべき、身支度を整える、寝ている妻をたたきおこす、引き出しの中身を全部引っ張り出して確認する、じたばたと出掛ける準備をしなければいけないはずなのだ。家を出て、まずはどうするのか、体のどの部位がもっとも適当なのか、壁に突き当たって、その向こうへ突き進むには、ひとまずどのように突入すべきなのかを何度もイメージしてくりかえす、肩から、あるいは膝からか、あるいは、白鳳のように立ち合いで張り手をかまして、もう一方で肘打ち、序盤で上手をとれればしめたもの、まわしの位置が問題だけど、ほんとうにそうだろうか、相手は壁だぞ、それを思い出した瞬間、どっと疲労をともなった絶望の感覚が湧き出てくる。それと同時に、壁の厚みがレアで程よく加熱された分厚い牛肉の断面図のようにして目の前に立ちはだかる。これを越えて向こうまで行くことの、絶対に不可能だという事実を感じ取る。