おばあちゃんの家

母からメールが来た。春休み中で、実家の母親に預けられた、十歳になる姪の子がひとり写った写真だった。実家の前にある通りと、向かいのブロック塀とその向こうに広がる灰色の曇り空が、写真に写りこんでいて、おお、実家だと思う。かつて自分が、この家にずっと住んでいたのだ。十代から二十代になり、さらに時間の過ぎていくのを、あの場所にとどまってじっと見ていた。家を出てしまってから、しばらくそんなことは忘れていたのだが、あるときふと思い出して、あれはやはり無かったことにはできない時間だったと気づいて、むしろあれを初期値に定めて、何にせよあの続きから始めないことには、何を考えようが付け焼刃でしかないように思われて、しかしそう思ったときはすでに遅しで、もはやその場所には戻れない、かなりたくさんのやり残しを放置したまま、それをいまさらどうすることもできないことを受容するしかない。そんなこといまさらわかっても仕方がない、わかろうがわかるまいが、ある機会のおとずれをもって、その勢いと流れで、ふいに出て行こうとする、とつぜんの終了をもってそれを畳んでしまうような場所こそが、生まれ育って自室もあるような場としての実家だなと思う。そのあと一年に一度くらい、自分の部屋に戻ったとしても、そこはもはやもぬけの殻で、ほとんど何も残ってない、何のめぼしいものも、価値ある品もない、ずいぶん前に死んだ人の部屋みたいになっている。あれから何十回もその部屋をおとずれたが、いつもそこは、そのままで時間が止まっている。自分のお墓みたいなものだ。手を合わせる価値すらないお墓である。

そのような部屋のあるあの家に、ある日の小学校三年生の女子が、おばあちゃんと過ごしていた。彼女にとって、そこはたまに訪れるおばあちゃんの家だ。いつもの家とは少し違う間取りの、それでも自分がお気に入りのDVDや読み物は棚のどこかにしまってあるし、おばあちゃんもそれなりにやさしいので、そこそこ快適で、退屈はしないだろう。あの家が、彼女にとってはそういう場所なのだろう。かつて、小学生くらいの僕が、夏休みのたびに新幹線で伯父の家に遊びに行って、そこで従弟と毎日遊んだ場所と、彼女にとっての僕の実家が同等だろうか。このあと、時間がさらに三十年か四十年ほど経って、すでに母も僕もこの世にいなくなってから、彼女はあるときふとその家のことを思い出して、自分を見上げている小さな子供がいま体験していることと、記憶のなかに残る自分のかつての体験と、そのふたつを較べたりもするだろうか。