銃後

僕らはよくわきのカフェで待ち合わせるのだった。通りには松葉杖の負傷兵がますます姿を増し、だらしのない姿が目立った。その連中のための募金の催しが行なわれ、だれのための《日》、彼のための《日》といったぐあいに、だけど結局は、《日》の発起人のために。嘘をつくこと、性交すること、死ぬこと。それ以外のことに手を出すことはとめられてしまっていた。だれもかれも必死で嘘をつきまくっていた、想像を絶して、滑稽と不条理を通り越して、新聞の中でも、ビラの上でも、徒歩でも、馬上でも、車上でも。みんながそれにかかりきっていた。まるで嘘つき競争。まもなく、街じゅうどこも真実は影をひそめ。
 一九一四年にはまだいくらかそかに見いだされた真実、それすらいまはみんながひた隠しするようになってしまっていた。手に触れるものは何からなにまで偽物、砂糖も、飛行機も、上履きも、ジャムも、写真も。読むもの、食うもの、しゃぶるもの、賞讃するもの、発令するもの、攻撃するもの、擁護するもの、何からなにまで、一切合切、憎悪の妄想、こしらえ物、架空物ばかり。売国奴までが偽物だった。嘘をつきそれを真に受ける錯乱は疥癬みたいにうつるものだ。可愛いローラが知っているフランス語といえばほんの二言三言、それがみんな愛国的台詞ときていた。《いまに見ていろ......》とか、《おいでよ、マデロン!.......》とか。見上げたもんだ。
 こんな調子でしつこく、おせっかいに、彼女は僕たちの死をのぞき込むのだった、もっとも女は誰でもみな同じだが、他人に代わって勇敢になることが流行りだせば。
 ところが僕のほうは僕を戦争から遠ざけてくれるものならなんでも大歓迎ということに気づきだしたところだった。ローラにむかって僕は彼女のアメリカのことを何度も尋ねてみた、だけどそれに対して彼女は、気取った明らかにでまかせと思える、しごく漠然とした説明でしか答えようとはしなかった、僕の心にすばらしい印象を与えようというねらいみたいだった。
 がいまでは僕は印象というものを警戒するようになっていた。いっぺん、印象というやつにだまされたあとだ、もうだれがなんと言おうと、口車には乗るものか。

セリーヌ「夜の果てへの旅」中公文庫 87~88頁